栗田工業の思い出

僕は中学の頃、科学部に所属していた。
科学部というと、かび臭い理科室で黙々と実験する様な
得体の知れない暗いイメージを持たれるかもしれないが
実際そんなもんだ。
ハツラツとは程遠く、それでも楽しいものだった。
時々、科学技術の社会科見学も開催された。

その地域はニュータウンで、研究学園都市と呼ばれており
周囲に公園、大学、企業の研究開発センターが集まっていたため
科学部としての社会科見学先には事欠かなかった。

そうして、栗田工業の研究開発センターを見学することになった。

社会科見学に行くのであれば、行先の会社について
多少調べてから行くのが礼儀というものだ。
しかし中学生が「クリタ」と聞いて一発で分るわけもなく、
ただ、水の研究をしている、ということだけ知らされていた。
親に聞いても、同じような回答しか得られなかった。

実際に行ってみると、まず会社の説明とパンフレットを頂いた。
簡単に説明するとこんな感じだ。

栗田工業は、日本を代表する「水」を扱う会社である。
工業やビルのプラント用水、浄水/汚水処理、処理薬、土壌環境など
水の処理に関連する事業展開を行っている。

水といえば、水道が整備されていない新興国で急速な需要を生み続け、
世界的な一大市場となっている。
工業の発展と共に、環境汚染を防ぐための廃液・汚水処理は欠かせない。
この点は、経済が発展して人口が増えても同様である。
最先端工業では、フロン等の特性の良いガスや洗浄液が環境規制で使用できないため
超純水という、非常に純度の高い水をジャブジャブ使う。
環境的に恵まれず、真水がそもそも手に入らない地域もある。
宇宙では居住空間をシステムに組み込んだ水の循環処理をしなければならない。
そういった、日常的な社会基盤の一部を担っている会社である。
大変な社会貢献だ。

処理薬についても見学できた。
汚れて濁った水に、薬を入れてかき混ぜると、濁りが固まって底に落ちる。
汚水がストン!と美しい透明に変化するのが衝撃的な光景だった。
汚水処理施設や、濁った池を一気に浄化するための環境対策で使われる。

そして、研究開発センターの内部を見せてもらったが、
施設の地下では川のように水が流れる溝を掘り、装置を動かしていた。
施設全体の水の殆どは再利用しているらしい。

汚水の浄化処理の設備を説明してもらった時に、こんなくだりがあった。

「この装置を使うと、トイレで使った水でも美味しく飲めるようになります。
 ちょっと汚い感じがするかもしれませんが、私は飲めますよ」

どうだろうか、この自信。とても格好良かった。

ただ、本当に飲める程度まで浄化して再利用しているものの、
色々な理由で、飲用としては再利用できないとも言っていた。
(法律とか、いろいろあるらしい)

研究者と技術者は、呼び方は違えど似た者同士だ。
僕はこんな人になりたいなと、一種の憧れを抱く出来事だった。

チッピング

車のドアの下、サイドシルを見ると、
やけに凹凸のある塗装がされていることに気づく。

これはチッピング塗装と言って、砂や石が跳ねて当たった時に
ひび割れや大きい傷を作らないよう、わざと凹凸を作ってあるもの。

初めて見ると結構驚くが
最近の車は大抵これが施されている。

よく考えるよね

思考停止

ものごとを 知れば知るほど
情報が あればあるほど
判断材料が多すぎて、逆に決めることができなくなってしまう。

アチラが立てば、コチラが立たずだ。
そんなことはゴマンとある。思考停止だ。
だからそんなときは、自分のエゴを通すしか無いんだが。

エゴとの付き合い方も、課題なんだ。
まー正直なトコロ、他人にエゴぶつけるってのは やりたくない。
立場や役割としてやる必要があれば、ハッタリかましてでもやるが
でも通常の人間関係でそういうことをする人は苦手だからね。

自動車のボディコーティングの話

ボディコーティングには様々な種類がある。
上からぶっかけて流すだけで被膜形成、施工終了、というインスタントなもの。
しっかりした薬液を塗布し時間をかけて乾燥させ、ガッチリ被膜を作るもの。

簡単なものは剥がれやすく、寿命も短いが、
一回の費用が非常に安く、洗車機の簡易なものでも3週間程度はもつため
定期的に続けることで気軽に車を綺麗に保てるメリットがある。

一方、ガッチリ被膜を作るタイプは高価だが安心感が強く
見た目も恐ろしくきれいになる。

今回は後者の話。

今一番主流の方式は、ガラスコーティングだろう。
店に行けば、まずガラスコーティングを勧められる。

「ガラスコーティング」というと、
フロントガラスのコーティングと勘違いされるため
「ケイ素系コーティング」と呼ばれることもあるが、実態は以下の通り。

1)高級タイプ:
 塗ると空気中の水分で化学変化し、石英ガラスになるもの。
 真のガラスコーティングとされる。高価。

2)普及タイプ(ガラス「系」コーティングと呼ばれる):
 ガラス繊維の粒子をフッ素樹脂等で繋ぎとめている。
 金属とコートの膨張率の差に強いとされ、艶がすさまじい。安価。

ガラスのコップを洗うと分るように
只のガラスは親水性なので、水がスルスルと流れ、弾かない。
キラキラするが、金属のような高級感あふれる光沢は無い。

そこで、多くの場合は二度塗りを行い、ガラス層の上にトップコートをかける。
意外と知られていないのだが、
ガラスコーティングはボディを包んで物理的/化学的に守っているだけで、
水の流れ方、汚れの付きにくさ、光沢感などコーティングの特長は
表面にかかった「トップコート」の効果だったりする。

トップコートにより、撥水性やヌメヌメとした光沢が生まれ、
コーティングの表面についた傷を埋め、きれいに保つことができる。
ただ被膜の寿命は短く、すぐに落ちてしまうため、定期的にかけなおす必要がある。
例えば、洗車時に使うよう「トリートメント剤」としてユーザに提供されたり、
コーティング業者がメンテナンスと称して入庫させた際に塗布される。
(ホームセンターのお手軽コーティング剤を上塗りする人もいる)

高級品の場合、
トップコートをかけない、つまり二度塗りしないシングルコートタイプもある。
これは塗布後に表面だけ反応して別の層に変化し、
最終的に2層になることで機能を発揮する。
ダブルコートタイプに機能の強さで劣るが、トップコートの剥離がないため寿命が長く
メンテナンスが要らない。10万円とかの高額なガラスコーティングは大抵これ。

ところで、ガラスコート層自体は非常に強靭な被膜で、
薬品で溶かしたり、コンパウンドで磨かないと除去できない。
逆に除去したいときは、とても厄介なものである。

施工後、半年や一年そこらで、水ハジキや光沢が無くなったからといって
コーティングが消えたと思い込むのは早計なので、注意が必要。

#条件が悪いと本当にコーティングが剥がれている場合もある

夢ってさあ。

その時抱いている悩み
 例えば人間関係とか、仕事とか、自分自身の問題とか
 うまくいっていないこと。

そういう悩みが、解決する夢

見ることが結構多くて
本当に救われた気分になるんだけど

夢だからさ。

朝から憂鬱なんだよね。

夢の中での解決は、問題の根本的な部分が取り除かれるもので
現実には起こり得ないことが多い。

医療の価値

命の尊さ、価値を語る人は、同時に
医療は広く多くの人が平等に安価に受けられるべきとも言う。
私としてはかなり違和感を感じる。

命は何よりも優先されるものだから、
何よりも優先されなければならないという考え方からくるのは分る。

その価値の高さ重さを謳うのであれば、
それを救う医療の対価、医療の価値も当然尊ぶはず…だろうが
それが無い点に違和感を覚えるのである。
そもそもの前提として、命は治療できない。
医療は自然に背く、価値ある行為である事を忘れている。

自分の家族や親友が同時に死の淵をさまようことになり
高額な医療でしか治らない場合、誰に全財産をなげうつのだろうか。
その選択から逃げているように思えるのは、邪推だろうか。

高度な先進医療は、できるだけ多くの人が簡単に安価に受けられれば
皆が幸せに生きられるかもしれない。
しかしそれは、手段を使う側の勝手なご都合主義というものだ。

先進医療技術、新薬の原価、研究開発費、技術料、その他諸々は
決して安くはないし、開発も簡単ではない。
勿論、最低でも原価は「一定期間内に」回収されるべきであるし、
異常に高い利益率でなければ、開発者の成功には見返りが欲しいだろう。
でなければ、次の開発のモチベーションが悪化するかもしれない。
人は皆が皆、博愛主義ではないし道徳心溢れるわけでもなく、それが自然だ。
どの業界でも、社会基盤を作る人や支える人は、
クレームは沢山頂戴しても、感謝は滅多に頂けないものだ。
(あなたは、きっと医者には感謝するだろう。
 しかし薬を飲むとき、その開発に関わった大勢の人や会社、
 犠牲になった動植物に感謝するだろうか?
 きちんと処方された薬を飲みきっているだろうか?)

日本をはじめ多くの先進国では、
その命の対価を支払いながら、個人の負担を減らす優れた仕組み
ハードルの低い健康保険が存在し、人口の殆どをカバーできている。
(アメリカは他人の医療費を払いたくない人が多いため実現していない)
だから命は治療できて当然と勘違いしているのではないだろうか。

私は手塚治虫のブラックジャックを愛読していたが
あのマンガの作中では、命の重さについての葛藤が何度も登場する。
ブラックジャックが法外な治療費をふっかけるからだ。

若者に対し、母親の治療に3000万をふっかけたことがあった。
若者は無茶苦茶だと断り、酷く悩んだが
ついに決意し、「一生かかっても払います」と言い切ると、
ブラックジャックは「その言葉が聞きたかった」と快諾した。(治療費も下げた?
「払えない」と言ったり、悩みすらしなかったら、
承諾しえなかったというエピソードである。
これはブラックジャックの感じる愉悦であるが、
まあ、趣味が悪い点は否めない。

首都圏は共通語を話さない

首都圏の人は「首都圏方言」「東京方言」などを話しており
「共通語」とは違う言葉遣いをしています。
(マスコミで共通語が流れるのは、NHKのニュースくらいです)

私は西関東方言と首都圏方言を混ぜた話し方をします。
首都圏方言は、東京方言と違い共通語寄りな発音になります。

「六十円」の発音比較…
 東京方言:ろ↑く→じゅ↓う↓え↓ん↓
 首都圏方言:ろ↓く↑じゅ↑う↑え↑ん↓

「読み上げる」の発音比較…
 東京方言:読↓み↑上↑げ↑る↑
 首都圏方言:読↓み↑上↑げ↑る↓
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スマホにケースを付けること

私もケースを付けているが、アクセサリー性は無い。
専らキレイな製品はキレイに使いたいという思いからだ。

携帯電話は日ごろ身に着けて持ち歩くものなので
確実に落とす。アクシデントのリスクが高い。
iPhoneはガラスなので、落とせば割れる。
割れたiPhoneを修理したり、また買う気は起きない。
だからケースは、一種の安い保険として使っている。
無論、見た目も良ければいいのだが、
Apple製品の外観は、足し算すると減るものだ。

30にもなってウサ耳が付いた立体造形ケースを使う気になれないが
木、金属、カーボンファイバの高級感あふれるケースは気になる。
(しかし目的がただの保険なので興味はあっても手は出さない)

先日ヨドバシカメラに行ってみたら、
レオ・レオニの絵本、スイミーの挿絵が印刷された
ペラペラのケースが陳列されており
価格も手ごろだったため、買いそうになってしまった。。
iPhone5が出たら使えなくなる。

自分でやる人、やらない人

世の中には、自分に必要なことを、
大抵の事に対しナメてかかり、自分で調べて自力で出来ると思い、やろうとする人
 と
無条件で難しそうだから自分にはできないと思い、諦めて他人にやらせる人
 がいる。

性格的な傾向を極端に書くと
自信家や、興味の強い者は前者に位置し、
無趣味、無気力、自信の無い者は後者に位置する。

前者の場合、初めは失敗するが、失敗したことを隠し、忘れ、
その後に成功した事実を強く覚えている。
だから自信につながり、他人から見ると何でもできる人間に見えてくるが
実際は能力的に秀でているわけではない。これを努力というのも憚られる。
しかし良かれ悪かれ実績は残すため認められやすい。

後者の場合、初めから失敗はしないが、失敗体験が無いので
必要以上に失敗が怖くなり、実績のないまま歳を重ね、益々自信を無くす。
そのため、自己解決能力が他人への依頼スキルになる。
また興味のあることに対しても諦めることを躊躇しなくなり、
体験、成長、能力活用の機会を自分で殺してしまう。

こう書くと後者の人間が悪のように見えるかもしれないが
前者の人間であっても後者の傾向も少なからず持ち合わせているはずであるし
世の中の経済活動はまさに後者の「需要」から発生するのだから
必要なのは、そのバランスだと考える。

私はどちらかというと、恐縮ながら前者に位置する人間だと自負しており
後者の人間に多種多様な依頼を頂くこともあるが
やることもあるし、嫌ならやらない。
むしろ自分の職業分野に関係する案件なら、お礼を貰うべきだと思っている。
(相手の期待値にもよるが、自分の生業=自身を安売りすべきではない)
ただし、お礼をあげるから依頼する、という構図はよろしくないので
そうならないように気遣わないといけないだろう。