自粛も必要な場合はあるが…

世の中は、被災者の心情を考慮して、色々自粛モードです。
他人の心情を優先するという点は、日本人らしくて良いと思うのですが。
しかしエスカレートして、被災していない人たちが
必要なことすらも自粛してしまわないか心配でなりません。

被災していない人たちにできる最善の方法は、
今までの生活を滞りなく続けることだと思います。
もちろん、目に見える形での活動、募金などはあっても良いと思います。
だからといって今までの生活を壊すような事はあってはなりません。
迷惑でしかないからです。

ただでさえ交通機関がおかしくなっていて働けない人もいるのに
その人達の分、動ける人がさっさと経済活動をリカバーしないと国の収入が減り
最終的に被災地の人にツケが回る気がするんですよ。

東京でも地震が続くなか、月曜日に普通に出社しようとして
しかし電車が止まっているので自宅に戻る人も多々いらっしゃいましたが
その、非常時に今までのことを当たり前のように続けようとする姿勢は
たくましいと思います。

木を見て森を見ずではいけません。
感情論を持ち出さず、必要なときに、必要なことを、正しく判断して行動したいものです

情報公開

原発の情報公開が、
遅いだの、専門用語が多くて分からないだの
苦情が相次いでいるそうだが…

地元の方は絶対そう思うはずなので致し方ない。
元々原発について知識や意識があるだろうし、
その中の一部の人は普段から万一を覚悟しているだろう。

しかしそれ以外で苦情を出している人
果たして傾聴力には問題がないのだろうか。
また普段からの原発への意識が低いのではないのかと。

日本に原発が多く建てられた一番の理由は
国民の原発に対する意識が低く、一部の反対者だけでは
行政に響かないからだと言われている。
(組織の利益を優先する考え方(公共の福祉)だと、
 地元の反対は、一部の少数意見に過ぎないと見られる)

個人的には今回の事故や情報公開は、比較的速かった方だと思う。
今までに比べるとリアルタイムに近い速さだ。
何かが起きれば15分から30分以内にアクションしていた。

現場の情報を上層部が知るのはリアルタイムではないし、
絶対に正しい情報でないと公開できないから何度も確認する必要がある。
何もかも全てを公開し、いたずらに不安を煽れば二次災害が起きかねない。
そのリスクとベネフィットのバランスを守るのも公開の責任だ。
そう考えれば、実際には重大事故ほど公開が遅れてしまうのが普通だ。
何よりも現場は、「安全」が最優先であることは言うまでもなく
そんな中で多少とはいえ被曝しながらも報告がされ続けていたわけだ。
見えない恐怖と闘いながら目の前で起きた突発的な事故を正しく迅速に。

福島第一原発で施設の外壁が吹き飛んだ映像がテレビでいち早く流れたが
それを見て不安にならない人は居ない。衝撃的だ。
しかし、それが何故起きたか、どうすればいいのかは不明で放送されない。
予想や憶測ばかり「可能性」という言葉で濁されながら放送される。
正しい情報が集まるまで待たずに映像を公開する利点は何だろうか。

むしろ、情報の遅れや混乱が酷いのは停電情報である。
輪番停電の可能性は12日からされていたが、
結局最終的な具体的情報は13日の夜だった。
また、後だしじゃんけんのような情報を細切れに出してくる。
停電は困るが、顧客は自分の変電所など知らず
状況と情報の噛み砕きができないのだから
やるならやる、やらないならやらないでしっかり決めて欲しい。
当然、できうる限り止めてはならないという前提は分かっているが
それも含めて先に言うべきだっただろう。

ところで、逆に問いたくなるのだが
会社勤めの人は、休み中も自主的に安否報告をしただろうか?
地震の起きた金曜日に、会社からの確認を待たず自分から試みただろうか。
SECOMの安否確認システムもサーバが一時落ちた(これはまずい)。
電話も使えない。停電するかもしれない。
しかし携帯電話でもデータ通信やメールは優先的に回線が確保される。
日頃から上司や同僚には伝えておくってもんだろう。

今朝の長野北部(中越)震度6について

昨日、長野はあまり揺れないと書きましたが
やっぱり揺れません。。

夕べから今朝にかけて、
「東北地方太平洋沖地震」(命名された)に誘発される形で
秋田、茨城、群馬、中越、駿河湾(静岡)を震源とする地震が
頻発しました。

長野県北部の、新潟との県境に「栄村」というところが有るのですが
栄村は震度6だったため、「長野県北部は震度6」という報道が出てしまいました。

心配してメールなど連絡をくださってありがとうございます。

実は、同じ長野県北部の長野市は震度3で、
長野県中部に属する松本やうちは震度1でした。

超ピンポイントな大地震ですので、私は全く無事です。

この地震は震源地は長野県北部ですが
どちらかというと新潟(上越から中越にかけて)の方が揺れて
被害を受けたはずです。
ライフラインが直撃されていないか心配だ。。

荒ぶる緊急地震速報に踊らされまくりで朝6時を迎えました。
震源地や揺れるエリアの予測がかなり精度悪かった。。
ここまで地震が連続してしまうと、地震計や通信網も被害を受けて
正しい予測ができないみたいです。

長野はそれほど揺れていません

東京23区内の避難所map
http://bit.ly/tokyohinan
————-

あの、地震直後からべらぼうな量のメールが来ていますが
長野はそれほど揺れておりません。

元々、長野という地域は地盤が固いのか
地震起きても揺れは小さく
体感できる地震は年に1度程度です。

新潟県の中越地震の時も、長野より東京の方が揺れていた始末です。

逆に言えば、今日みたいに震度3?4の地震が長野県で起きるということは
どこかで大地震が起きているってことです。
今回は三陸沖でした。

東日本全部が揺れるなんて、たぶん今までの日本観測史上経験していません。
マグニチュードはM8.8とか。。

先日のNZ地震はM6.8、
阪神大震災はM7.3だったと思います。
 (マグニチュードとは、地震の規模で、揺れの大きさではありません。
 (揺れた面積の大きさだったと思われ。

こんなに大規模な地震だと
色々な復旧に非常に時間がかかります。
電気やインフラ(交通)もなかなか元に戻りません。
地震保険とか、保険会社潰れるんじゃね?とか思ってしまう。

気長に回復に努めましょう。
メールも控えめに。

りくるーと

リクルートという会社は本当に凄いと思う。
何が凄いのかというと情報サービスの社会影響度が
ハンパではないのだ。

進学、就職、結婚、出産などを含む人生の節目や行事はとても大切で、
押えておきたいポイントや注意点、法律、制度も多岐にわたる。
誰も慣れていないのに、一人でいきなり行うには無理がある。
それをアシストしたり、情報提供しているのが
情報サービス会社リクルートである。

他にも、開業や不動産、自動車情報、
教育(スキルアップ)、宿泊、旅行、医療情報も取り扱っている。
更に飲食店情報も豊富で、ホットペッパーを発行したりしとる。
結果として、社会貢献度は非常に高いと考えられる。

こういう会社であるが、金の絡んだ事件も多い。
また、新しい人の生き方について提案することも多い。
その善し悪しは別であるが。。
例えば自由さをウリにした生き方であるフリーアルバイター
略してフリーターをいう生き方を提案して流行らせたのはリクルートだ。
他にも女性の社会進出を促進する「とらばーゆ」という単語を流行らせた。
派遣法の制定時から、人材派遣にもよく噛んでいる。

上記から分かるように、
リクルートは社会への影響度が高く、
売り文句や提案に踊らされて、道を踏み外す人も少なくはないと思われる。
例えば今時、就職や転職にリクナビを使わない人は居ないだろう。
リクルートが、全国の新卒者の情報をほぼ全員分持っていると考えると
リクナビの社会影響のスケールの大きさを想像することができる。

魔法少女まどか☆マギカがガチで面白い件

誰がどう見ても大人向けのアニメです
本当にありがとうございました。

一言で言うと
「血溜まりスケッチ」

【簡単なあらすじ】
主人公「まどか」は、ある夜不思議な夢を見た。
魔法を使う知らない少女が敵と戦っている。
そこに一見かわいらしい不思議な生物が現れこう言った。
「きみ、ボクと契約して魔法少女にならないか」
魔法少女になると、一つだけ何でも願いが叶うらしい。

しかし、その代償は少女が思いつきで背負う程
軽々しいものでは無かった。

【みどころ *ネタバレ有*】
監督がよりにもよって新房昭之。当然シャフト。
ストーリーがニトロプラスの虚淵玄。絶対に暴力的。

OP曲がClariS。吸い込まれる曲。
絵が蒼樹うめ。非常にホワンとした可愛らしい絵。
異空間設計が劇団イヌカレー。かなりサイケデリック。
??
魔法少女は沢山いて、命がけで「魔女」と戦っており
比較的簡単に殺されてしまう。
(初めて知り合った先輩の魔法少女も2話後死ぬ)

魔法少女は人間では無い。もちろん人には戻れない。
言い換えれば、人間を辞めて奴隷として生を全うする存在。
魔法少女達は、彼女らにしか出来ない辛い仕事をしている。
そのため、人間とは次元の違う意識を持つ。
人間に「あんたがやりなさいよ。出来ないくせに」と言う事もある。

魔法少女になるためには契約が要るため、自己申告制。
尚、魔法少女の代償は、知られると面倒なので
必要が無ければ教えてもらえない。
基本的に不利な情報は、後から知らされる。

今のPCは、フロッピーディスクドライブが無い

HGSTがWDに売却される報道を見て、色々思った。

今のPCは、フロッピーディスクドライブが無い。

1998年発売のiMac以降、フロッピーディスクドライブが無い機種が増え
今では搭載機種なし。
ドライブメーカも生産を止めてしまったため手に入り難くなった。

フロッピーディスクは、90年代のPCには無くてはならないもので
ほぼ全ての機種に、当たり前のように装備されていたため
とりあえずフロッピーにデータを入れて渡せば、誰でも使用できた。
後期には、高密度記録方式(2HD)となり、1.44MB/枚の容量があった。

ところが、当時のハードディスクは数百MB?数GBに達しており
フロッピーの容量1.44MBでは足りないシーンが多く見られた。
ハードディスクのデータのバックアップもこの容量では難しい。
そのような中、ハードディスクは非常に高価であったため、
ハードディスク程の性能は無いが、大容量で安価な代替装置のニーズがあり
「リムーバブルディスク」と呼ばれて数々の新種メディアが登場した。
その名の通り、リムーバブル(Removable:取り出せる)が特徴で、
特にフロッピーのように「ランダムアクセス」できることが重要視されていた。
(ランダムアクセス:好きな時に好きな部分をすぐ読み書きすること)
いくつか例を挙げると、ZIP、SuperDisk、SyQuest、Jaz、PD、MO等だ。
それぞれ記録方式や素材が全く違うため、独特の性質/特性があった。
ZIPは高速で使い勝手が非常に良い、MOは遅いが大容量で保存性が高いなど。

結果的に、ZIPは米国、MOは日本でよく普及したが、
後のCD-Rの普及とハードディスクの低価格化に押され徐々に消えていった。
ただし、ZIPとMOは未だ現役で使用者がいる。
また、DVD-Rが登場した際にDVD-RAMという規格が登場し、
ビデオレコーダーによく使われたが、リムーバブルメディアの再来と言われた。

1998年頃、CD-Rが爆発的な普及を見せた。
640MBの容量に対して1枚50円程度と非常に安価。
CD-ROMドライブがあれば読み込めるとあって、
他者とのデータのやり取りや大容量のバックアップにCD-Rが最適であった。
更に音楽の録音やコピーする用途にも使えるため、PCに疎い層にも普及した。
この流れは、より大容量で高速なDVD-Rへシフトしていった。
ただし、近年登場したBD-Rへはシフトしておらず、コケる雰囲気がある。
ハードディスクの低価格化が原因であると言われている。

ところで、2001年頃から
USBポートに直接挿して使うメディアが普及し始めた。USBメモリだ。
半導体のメモリを直接読み書きするためシリコンメディアと呼ばれる。
今では、これがフロッピーディスクの代替メディアになっている。
USBポートは近年の全てのPCに備わっている点が重要で、
最近はCD-ROMドライブすら無い機種もあるため、
一部パッケージソフトウェアでは、USBメモリで売っている。

この話には背景がある。
今ではインターネットが普及しているため
小さなファイルであればネットワークで送受信でき、問題にならない。
しかし、90年代はたった1KB程度のファイルですら
何らかのディスクにコピーして手で渡す必要があった。
今後は更なるネットワークの高速化が進むと予想されるため
そういった用途向けのメディアは消えていくだろう。
(SDカードの様に特殊な用途のメディアのみ残る)

でも、ネットワークにはできないこともある。
押入れを整理した時に出てくる10年前のディスク。
なんとかして読み込んでみると、懐かしいファイルが出るわ出るわ。
さながら、タイムカプセルである。
あと、冷暗所に保管していたはずのCD-Rはデータは欠落していた。
流石に10年以上経つとダメなのもあるみたいだ。

また、過去のメディアを「消える」「消えた」と気軽に書いているが
公官庁や古くからコンピュータを使っている会社では、
重要なデータが古いメディアに収められており、
最新のPCで読み込めないという事態が起こる。
そうならないように、データの容れ物の「移し替え」は大切なことだ。

せいちょー

外に出て、多くの人と交流し、苦労しないと
人は成長しないと思う。

言い切りをしないのは、
それ以外の場合もきっとあるだろうから。

ただ、社会から要請されるレベルとか
「年齢相応」という考え方には
少々疑問を抱かざるを得ない。

なぜなら、色んな人が居ていいと思うからだ。

人間は混沌でできており、全ての人は必ずどこかが違う。
それが作り上げる社会とはかくも混沌である。
その中で生きていれば当然、山や谷、楽しみ悲しみがある。
またそれが、個人をわずかでも確実に成長させるのではなかろうか。と。
そう思っている。

「○○は常識が無い」とか、「あいつは子供か」とかいう話を
誰かから聞かされる度に
ああ、この人にはゆとりがないのかしらと思ってしまう。
そもそも、本当に大人を語るのであれば
愚痴は言わず、自分から問題を包み込むなりして解決に導けばいい。

世の中には、私も含め中途半端な似非大人が沢山居て
それが普通だし、至極当然の姿だと思う。

中には、至上を目指す人も居ることだろう。
しかし下に目を向ける必要はない。
至上したなら、次にすることはきっと目下の教育や向上促進であって
誰かに何かを要求することではないと思う。
尊敬できるお年寄りを見れば、その姿はある程度想像できる。

もっとも、最近は世の中に愛が無い気がするので
それは懸念しており、愛ある行動を心がけている。
「目に見える」愛、「目に見えない」愛、「痛い」愛
いろいろあるが、相手に理解できる愛を選択しなければならない。
昔ながらの「沈黙の」愛も、結果的に通じなければ意味は無い。
価値が無いとは言わないけれども。

普及した外部周辺機器接続規格

普及した外部周辺機器接続規格
高速化の歩み
※俺の記憶調べ!(アテにならん)

不明
 14KB/s シリアルバス(RS-232C)
 143 – 444KB/s パラレルバス(IEEE1284)
1989年
 5 – 40MB/s SCSI-1、SCSI-2
1998年
 50MB/s iLink/FireWire(IEEE1394)
2001年
 60MB/s USB2.0
2005年
 100MB/s FireWire800(IEEE1394b)
2010年
 625MB/s USB3.0
2011年
 1250MB/s Thunderbolt(LightPeak)

#HDMI/DisplayPort/SATAは用途が限定されるので除外。
#USB1.1は速度的に用途が限定されるので除外。

Intelは、USB3.0で使いたかった光学接続を諦めざるを得なかったため
反逆してLightPeakを作ったと予想。
USB(特に2.0)は普及しすぎており今更捨てることなどできないため、
後発のThunderboltはFireWireのように自然消滅する可能性も大きい。
ユーザは何でもUSBで繋ぎたがるだろうし、ベンダもその方が楽である。
ただし
Intelが自社チップセットにThunderboltを統合し、強引に普及させる作戦をとるかもしれない。
初期のUSB1.0のような、気がついたら搭載されていたI/Fみたいに。