外に出て、多くの人と交流し、苦労しないと
人は成長しないと思う。
言い切りをしないのは、
それ以外の場合もきっとあるだろうから。
ただ、社会から要請されるレベルとか
「年齢相応」という考え方には
少々疑問を抱かざるを得ない。
なぜなら、色んな人が居ていいと思うからだ。
人間は混沌でできており、全ての人は必ずどこかが違う。
それが作り上げる社会とはかくも混沌である。
その中で生きていれば当然、山や谷、楽しみ悲しみがある。
またそれが、個人をわずかでも確実に成長させるのではなかろうか。と。
そう思っている。
「○○は常識が無い」とか、「あいつは子供か」とかいう話を
誰かから聞かされる度に
ああ、この人にはゆとりがないのかしらと思ってしまう。
そもそも、本当に大人を語るのであれば
愚痴は言わず、自分から問題を包み込むなりして解決に導けばいい。
世の中には、私も含め中途半端な似非大人が沢山居て
それが普通だし、至極当然の姿だと思う。
中には、至上を目指す人も居ることだろう。
しかし下に目を向ける必要はない。
至上したなら、次にすることはきっと目下の教育や向上促進であって
誰かに何かを要求することではないと思う。
尊敬できるお年寄りを見れば、その姿はある程度想像できる。
もっとも、最近は世の中に愛が無い気がするので
それは懸念しており、愛ある行動を心がけている。
「目に見える」愛、「目に見えない」愛、「痛い」愛
いろいろあるが、相手に理解できる愛を選択しなければならない。
昔ながらの「沈黙の」愛も、結果的に通じなければ意味は無い。
価値が無いとは言わないけれども。