タマネギ盛りだくさんのマリネをたべたい。作ろうかしら。
でもエクストラバージンが微妙に高いからな・・・
うーん。
交通事故の民事責任について
過失割合 相手:自分 60:40の場合
計算の方法
相手の損害の4割を払います。
自分の損害の6割を貰います。
相手の損害の4割は、こちらの対人/対物保険から出ます。
自分の損害の6割は、相手の対人/対物保険から貰えます。
相手は、受けた損害の6割を自費でまかなう必要があります。
自分は、受けた損害の4割を自費でまかなう必要があります。
気をつけなければならない事は、治療費にも同じ事が言える事です。
人身傷害保険を付けておかないと過失割合で引かれるので
数百万の治療費が必要になっても場合4割は自腹となります。
ただし、120万円までなら相手の自賠責保険がフルで使えます。
120万円を越えた場合は、「120万を含めた額で」過失相殺されます。
まとめると、ケーススタディとしては以下のようになります。
■200万の治療費がかかり、相手:自分が6:4の場合
相手が払う分 200 * 0.6 = 120
相手はこの120万円を全額、自賠責保険で支払います。
こちらは残りの4割、80万円が自費となります。
80万円は泣き寝入るのか?
いえいえ、搭乗者傷害保険が普通の任意保険には付いていますね。
これを使う事で、ある程度損失を押さえる事ができます。
ただし、搭乗者傷害保険とは日割りで定額が支払われるものです。
80万円全額が出る訳ではありません。そのために人身傷害保険があるのです。
さらに搭乗者障害保険は、こちらから請求しなければ保険会社は知らんふり。
つっつかないと適用してもらえないのが普通なので、請求を忘れないように。
(だから未払いとか言われるのですね)
何かが足りていない
「かっこいい」から「かわいい」からと本当に感じているのは
他人がそれをそういう風に形容したからじゃないか?
自分はどう思うんだ?誰かに合わせても意味はない。
集団行動の適応能力と感性の共有化は別の話なのだ。
善悪とか、好き嫌いとか。
何が良くて、何が悪いというとても重要な感覚まで他人に合わせようとする。
それこそ、いけない事だ。自分の意見を持つべきだからだ。
判断基準に独創性と責任感が無くなり、
その判断理由も「なんとなく」になってしまう。
その結果、将来は進路にまで影響してしまうかもしれない。
英語で「常識」(common sense)とは「知識」ではない。
適切な判断力や思慮深さ、つまり感覚を指す。
日本では、お作法というか「世渡り知識」というものが多く
それこそを常識と言いまわす人が多い。(無論、常識と言う言葉はそういう意味もある)
世渡り知識とは、マナーに多い。
例えば、「のし」の種類や日本独特のビジネスマナーなどだ。
だがしかし、そういった知識は知っていてもその理由を理解していなければ意味が無い。
しかし、本人の経験に基づくものではないものが殆どだ。
(英語にもcommon knowledgeという言葉があるが、「周知の事実」という意味である)
周りに合わせていけば安定/安心という考えを持たぬよう
そういうことを中高生に教えるべきだと思う。
小学生は理解し難いだろうからいい。
もっとも、適度になら、「合わせた」方がいい場合もあるが
それは自衛のためであり、それにも自分なりの理由があればよいと思う。
事故のつづき
事故は何がつらいのかというと、結果的にやられ損であることだ。
車は使えなくなるし。
その間にでる損失はお互い我慢しましょうが原則なのだ。
もちろん、被害者がきちんと申請すれば後から補償されるが。
また、時間もかかる。
手続きがメンドクサイ上に、相手と民事責任を交渉する時間がいる。
簡単に言うと「俺は悪くない」をお互いに主張しまくり、妥協点を探る。
そんなことをやり合ってたら他の事が手につかなくなってしまう。
仕事をしなきゃならないし、相手に不利な判例を探したりしなきゃならない。
そこを代わりにやってくれるのが保険会社なのだが、
その、示談交渉サービスは保険会社に損失が出る場合に行われる。
つまり過失割合10:0になった場合、サービスは無くなるのだ。
事故った(またかよ)
事故った。
今回の事故が多分一番、被害額がいったのでは。
朝、俺は飛び起きた。
というのも昨夜帰ってきたのが遅く、寝過ごす可能性があったからだ。
今日は彼女が長野に遊びにくるので、高速バスの停留所まで
迎えにいく必要があるのだった。
バスの到着より少し遅れて俺も到着した。
彼女を乗せ、とりあえず観光にでも行こうかと思っていた。
車内には、先日購入した観光ガイドマップが置いてある。
今日はいい天気だ。台風で心配だった天候は、まさに旅行日和であった。
彼女が長野に来るときは大抵、悪天候か時間がない状況に陥り
観光などできなかったので、楽しみにしていた。
出発して1kmに満たない程度である。
そこは細い、池と山の間に挟まれた道であった。
土手と茂みに阻まれ視界の悪いカーブが連続するのだが
こちらから見て左カーブを通りかかったとき、対向車がきた。
黒い軽のワゴンだ。
その軽はあろう事か、センターラインを越えてこちらに向かってきた。
車がいないと思い込み、アウトインアウトをしたかったのだろうか?
カーブで外側から内側にラインオーバーするなど、偶然ではまずない。
(逆の方向なら”遠心力により滑った”等ありうる)
正面衝突は避けられたが、数センチの差ですれ違ったため
ドアミラーが大破した。それがドアガラスにぶちあたり、
粉々に砕け散ったガラスとミラーが運転席に降り注いだ。
俺は降り注ぐガラスの中「ま た か」と思った。
今年の事故は2度目である。1度目は確実に俺の過失であったが。
車を降りて文句の後すぐ警察に電話。
普通は加害者が電話するのだが。
正面衝突ではないので特に衝撃は無かったが
彼女は緊張のあまりおなかを抱えた。
おそらく外傷があるのは俺だけだ。。
こりゃもう観光なんて無理だ。
とんだ週末になってしまった。
こちらの休日は足が無いと究極的にヤバい。生活に困ってしまう。
助けてくれた友人Uへ感謝の念に堪えない。
のみかい
上田で飲み会があった。
久しぶりに上田の人と会ったんだけど
上田の職場が以前とガラリと変わっていて
戸惑いを隠せなかった。
他の事業所の人を集めてぎゅうぎゅうにしたのかな。
じゃあその事業所は。。からっぽ?
再三述べるが
俺がロリだということがコミュニケーションの出汁になっていて
今回も例に漏れずそれで円滑に楽しい時間が過ぎていった。
異常だけど、楽しければいいじゃないという。
いじられるネタになり、もっともらしい哲学を語ると納得され
酒 も す す む。
大人になると、「普通である」ということが必要でなくなる。
「普通」は、悪く言えばつまらないものなのかもしれない。
年金
会社が確定拠出年金に切り替わるのだが
俺は一応、仕組みとメリットとデメリットを知って
人に教えないといけない立場にいる。
だからよくわからん資料にかじりつく必要がある。
確定拠出年金とは、いわゆる企業独自の年金の一形態だ。
●年金とは、以下の3種類がある。
1、国が定める強制的で定額な国民年金
2、会社で働く人が収入額に応じて取られる公的な厚生年金
3、会社で働く人が会社の年金基金に加入する企業年金等
(1を1階 2を2階 3を3階と言う)
会社で働く人は、1?3のすべての年金の合計額を
60?65才になると貰える。月20万くらいだっけ?
しかし、自営業の人や主婦は1の分しかもらえない。
これは本当に少なく(特に障害も無ければ月5万くらい)、
生活は無理なので、自営業の人は国民年金基金にでも加入してね。
確定拠出年金は3階の、1形態だ。
3は、企業年金(確定給付年金)と確定拠出年金がある。
■確定給付年金
会社の基金に加入していた期間がある場合に、
給付年齢に到達すると、年金を貰える。
そのときに基金から貰える(給付)額が確定しているので「確定給付」。
会社が基金をうまく運用できなかろうと、
貰える額が先に確定しているのが特徴。
会社はいずれ払う給付額を負債として計上する。
■確定拠出年金
加入している間、会社の基金からお金を貰える。
それは個人の運用口座に送金される。
基金が出す(拠出)額が確定しているので「確定拠出」。
自分で運用するため、その結果で地獄の老後かも知れないのが特徴。
その代わり、うまくやればリッチな老後が待っている。(無理だが)
会社は給付額を拠出として計上し、負債にならない。
簡単に言うと、確定拠出年金になると会社は運用の責任を負わなくてすむ。
年金は申告制なので、制度を知らないと自分だけ損して後悔するばかりか
生きていくために必要なお金すらまかなえなくなるので、注意が必要だ。
流される人
自分に怒りを覚える。
それは、世に流されてるなと思うとき。
どこぞの首相が辞任。
すると首相が卒業した大学の入学倍率が下がる?
意味がわからない。
大学の願書とか・・自分の進路まで世間様の流行か。
まったくおめでたいものだ。
つまり、最初から行く気はないってことじゃないか。
それで決まった進路は、流行が過ぎ去った時点で断たれるわけか。
本人はその時は楽しいから、それでいいのかもしれん。
そんなこと関係ないって思ってるのかもしれん。
でも、それで将来仕事が無いとき
自分の社会的な価値に気づいたとき
その人たちのツケを俺が払う事態だけは嫌だ。
先のことを考えず生きてきた人は
食えなくなったら死んで終わり、で良いと思う。
そういう人たちを社会格差なんて言葉で甘やかすべきではない。
将来について考えない生き方を、選択するのは自由だ。
しかし、その結果を世に認めてもらえることは無いだろう。
人はただ、身の丈にあった生き方、生活をすればよい。
口悪く言えば
貧乏人は貧乏任らしく生きるのがお似合い。
金持ちは金持ちらしく生きるのがお似合い。
なのにだ、見栄とプライドのために背伸びする人がほとんどだったりする。
自分に不相応な誰かに憧れてマネゴトをする。
でも、中身の価値もそれ以上にならなくちゃ意味が無い。
プロゴルファに憧れ、でも上達そっちのけでクラブを買いあさる。
モデルに憧れ、肉体改造を忘れてその人の化粧品ばかり買いあさる。
別に買ってもいい。手軽だ。
でも本質を忘れてちゃ辿り着けない。
そゆ人は、それを理解できない。たぶん一生わからないまま。
逆に、本質のみを得ることができれば、モノは後からどうにでもなる。
匠は道具を選ばない。道具の良し悪しを自分の力で吸収できてしまう。
結局は最初から憧れなんて無いんだろうが。
憧れに近づいた気分になれればいいのだろう。そう、気分だ。
結局何が言いたいのかというと
そんなやつらの救済に使われてしまうであろう税金を
払いたくない ということなのだけれど。
汚い話。
汚い話で申し訳ない。
でもびっくりしたんだ。
緑色のうんちがでたんだ。
それも、黄緑とか、緑っぽい茶色じゃない。
完全無欠の、白と緑を混ぜた色。
トイレの水が緑色に染まってくのを見て
焦らずにはいられなかったね。
でもね、思う節はあるんだ。
一昨日食べたアジ。小アジを結構食べた。
野菜を食べまくると緑の便が出るという。
スイカを食べまくると赤い汗が出る(体験済)。
青い魚食べても出るんじゃね。
ゴミバコ
Windowsのごみ箱はRecyclerといって
Macのゴミ箱(Trash)とは意味合いが違うはずだったが。。
(やってることは同じだけど)
なんか日本語だと意味同じだな。
ひらがなとカタカナの違いは政治的な理由がありそうだ。
BeOSもリサイクラだったな。。