何かが足りていない

「かっこいい」から「かわいい」からと本当に感じているのは
他人がそれをそういう風に形容したからじゃないか?

自分はどう思うんだ?誰かに合わせても意味はない。
集団行動の適応能力と感性の共有化は別の話なのだ。

善悪とか、好き嫌いとか。
何が良くて、何が悪いというとても重要な感覚まで他人に合わせようとする。
それこそ、いけない事だ。自分の意見を持つべきだからだ。

判断基準に独創性と責任感が無くなり、
その判断理由も「なんとなく」になってしまう。
その結果、将来は進路にまで影響してしまうかもしれない。

英語で「常識」(common sense)とは「知識」ではない。
適切な判断力や思慮深さ、つまり感覚を指す。
日本では、お作法というか「世渡り知識」というものが多く
それこそを常識と言いまわす人が多い。(無論、常識と言う言葉はそういう意味もある)
世渡り知識とは、マナーに多い。
例えば、「のし」の種類や日本独特のビジネスマナーなどだ。
だがしかし、そういった知識は知っていてもその理由を理解していなければ意味が無い。
しかし、本人の経験に基づくものではないものが殆どだ。
(英語にもcommon knowledgeという言葉があるが、「周知の事実」という意味である)

周りに合わせていけば安定/安心という考えを持たぬよう
そういうことを中高生に教えるべきだと思う。
小学生は理解し難いだろうからいい。

もっとも、適度になら、「合わせた」方がいい場合もあるが
それは自衛のためであり、それにも自分なりの理由があればよいと思う。