新成人へ

まったくもって大人らしくない自分が言うのもなんですが
季節的な企画物として。新成人へ贈る言葉です。

————–
あなたたちは、突然、成人と言われても
「大人」になった気はしないのではないでしょうか。
例えば、自分より10歳・20歳・30歳も年上の人間を見て、どう思いますか。
自分より大人だな、と思うかもしれません。

でもね、その人たちは年上だから大人っぽい訳ではないのです。
30の人から見れば、40はそう見えるし、40の人から見れば、50はそう見えるんです。
あなたたちより少し長く生きているだけで、何ら変わりはありません。偉くも無いです。
つまり、人は年齢を重ねただけでは大人にはなれません。
自律した大人になるという、気持ちと努力に、時間を掛けるから
大人になれるのです。
そうでないと、子供のまま、オッサン/オバサンになります。

で、何が問題かというと、法律上は20で誰でも強制的に成人なのです。
中身が子供であろうがなんだろうが、成人として扱われます。

大人、つまるところ社会人にとって大事なのは、自分を律することです。
違法行為をしないだとか、ルール違反をしないなんてのは当然ですが
実際に世の中に求められる大人とは、常に責任がつきまといますので
もっと宗教的な「社会的」「人として」「常識」という面において
恥ずかしくない言動が求められます。

尤も、それが行き過ぎるのもいかがなものかと思います。
気にしすぎると縛られているような気分になりますが、
慣れてくると気にしないでいられるようになります。

分かりやすく言うと、遊ぶ時とそうでない時はケジメをつけて
メリハリとTPOをきっちり認識すれば良いということです。

もちろん大人の遊びは、子供とは違い、いろいろな制限がつきまといます。
いくら無礼講とは言え、やって良い事悪い事がありますし
今の楽しみのために明日誰かに迷惑をかけるようでは信用を失います。
はしゃいで、少し間違えば警察を呼ばれ、大事になります。
もう社会人の身は自分一人だけのものでなく、社会の一員なので、
自分の言動は全て社会から多大な影響を受けるようになるという事です。
怖いかもしれませんが、逆に考えれば自由でフェアな身分です。
自分から社会に影響を与える事が出来るという意味でもあるのですから。

世の中は広いので、人によっては、ちょっと逸脱した遊びや失敗すらも、
大人として許されん恥ずかいことだ!と言う事もあります。
このレベルは人によってかなり違う上、本人の性格なども多いに影響するので
バランスの取り方やコミュニケーションで解決すべき(最悪の場合、諦める)問題だと思います。
保守的な人は、誰にも文句を言われない行動にまで自分を律しますが
私はそこまでできないため、よくこの問題に苦しめられています。

もう一つ、大人として大事な事があります。
それは、自分の事は自分で決めて、自分で行動して、成功なり失敗なりの結果を出すという事です。
自分で行動するというのは、一人でやるということではありません。
結果を出すために他人を巻き込むのも、それは自分の行動です。
(ただ、毎回のように他人を頼る前提で行動するはいけないことです。自分がされたらウザいでしょ)
「結果」は、良かろうが悪かろうが責任を持って「認める事」が大事です。

逆に、やめてほしいのは「自分探し」です。
言い換えれば、決められない、わからない状態のまま右往左往している状態です。
決めるという事は、何かを諦めたり犠牲にすることもよくあります。
それが嫌で現状維持に甘んじている状態は、能動的で有意義な結果を生みません。
他人から見れば、不満を言っているか、見失っている気分(中二病)になっているだけで
それを解決するために期限を切って自分でどんどん行動しなければ認めてもらえません。
#それが出来る人は最初からそんな状況にならなかったりする。
#期限を切るのは結果を出すためです。

自分の事は、誰のせいにも出来ません。
実際には外力による結果であっても、自分で決めて、自分でやったことだ、と見られます。
それが、常につきまとう責任というものです。
だからこそ、自分で決めて行動した結果は、意味があるのです。強いのです。
その積み重ねで自信がつき、更なる飛躍に繋がります。
積み重ねのある人と、ない人は、すぐ分かります。

みんながんばれ。