最近、しっかり考えてから行動しなければならないとよく思う。
考えの無い行動を指摘された時に、非常に情けないからだ。
物事の良し悪しも、自分の考えで判断できなければならない。
先日、上司が会社のエコ対策に対して文句を言ったのだ。
居室の空調や、照明に関する省エネ措置を決めた委員会に対し
「労働環境を悪化させ作業効率を落とす損失は考えているのか?」
委員会からのもっともらしい正論に、自分の正論をたたきつけた。
この人は基本的に自分の中に正論があって、他者の理論と合わないと
他者の理論を理解する為に詳細の説明を求め、穴があると指摘する。
仕事に私情はタブーなので、そういうやり方は決して間違っていない。
他にも、濁した説明や甘い指摘を安易に受け流したりはしない人なので
見習わないとな、と思っていた。
子どもの頃
ランドセルでなく、普通のかばんで登校するクラスメイトを
「あれっていけないんじゃないの?」
と思ったり、友人から言われた事は無いだろうか?
例えば、障害のある子が手提げで来るのは理由があるから仕方が無いが、
普通の子がランドセル以外を使うのは「いけないこと」だと、
皆に合わせて協調することが「よいこと」だと、
その理由も良くわからずに、無意識に考えたりはしなかっただろうか?
本当に「わるいこと」なのか?
悪い事なりの理由を忘れていないだろうか?
Winnyの作者が逮捕された時、
「警察に逮捕されたのだから、悪い事をしたのだろう」
と安易に思わなかっただろうか?
「なんで彼は、作ったら逮捕されると予想できなかったのかな?」
と考えなかっただろうか?
そもそも、Winnyが悪なのか、使用者が悪なのかという議論を
忘れていないだろうか?
物が悪いなら作者に責任があるだろう。
しかしながら、物は使われ方の善し悪しを選べない。
使用者が逮捕されるべき、という点はどちらも変わらないが、
その責任がWinny自体、延いては作者に及ぶかどうかを
考えるに至っただろうか?
ただし、これは個人的な偏見であるが、
物に対して責任を唱える人は、自立心や精神力が弱いように思える。
物が無ければ事は起こらないかもしれないが、
それが根本的な解決と言えるのかどうか、疑問ではある。