auがW-CDMAに移行の予感

次世代ケータイ規格では、
キャリアは通信方式で足並みを揃えるようになるみたいです。

auは現在、cdma2000というクアルコム社の独自方式を採用しています。
この流れはcdmaOne方式から始まります。
1999年に始まったcdmaOneは、当時IDOの通話品質を一気に押し上げました。
第3世代方式であるcdma2000はcdmaOneの拡張方式です。
低コストで拡張できるため、auはcdma2000を採用しているわけです。

cdmaOneの開始に至る経緯です。
当時は、DoCoMoもJ-PHONEもTU-KAもIDOも「デジタル方式」という名で
PDC方式のケータイ端末を売っていました。
PDC方式の端末は今でも持っている人は居ると思いますが、
端末の通信コネクタが「O===O」というカタチになっているモノがそれです。
全キャリアが統一された方式で運用する事で、相互ローミングを可能とし
充電器やアクセサリも共通化できました。
また当時、同じPDC方式なので、本体端末はキャリアに関係なく持ち越せました。
例えば、解約したDoCoMo端末をIDOに持って行くと、IDO端末として使えました。
当時は純粋に電話しかできないような端末が多かったからですね。
(今では端末がキャリアのサービスの一部になっているので無理です)
PDC方式は、それ以前のアナログ方式に比べて、2世代目と呼ばれる事があります。

ところが、同じ周波数帯、同じ方式で運用していたので問題が発生しました。
90年代後半、ケータイ人口の増加により、電波に空きが無くなってしまったのです。
当然、通話が出来ないほどに相手の声がボロボロ。
各社は、ハーフレートと言って、PDCを拡張して音質を落とすようにし、
データ量を半分にしていました。(転送量が半分だからハーフレート)
ただJ-PHONEだけは同じPDCでも周波数が1.5GHzと、他社と違ったため
なるべくフルレートでの運用を行っていました。
J-PHONEが当時、音質の良さを宣伝していたわけはココにあります。
ただし、他社の800MHzに対して1.5GHzと周波数が2倍近く高いため、
周波数の特性的に、悪条件下で比較すると切れやすかったのは否めません。
また、増えつつある電波障害の多い場所(ビルの谷間)ではPDC方式の限界でした。

そんな中、IDOやセルラー各社はcdmaOneというCDMA方式の運用を開始しました。
CDMA方式は米クアルコム社の方式で、今後の国際標準を臭わせていました。
トゥートゥープマシェリーマーシェーリーのCMです。
流石に開始当時はノウハウが無いせいか、切れやすかったりうまく繋がらなかったり
悪いイメージがつきまといました。
そのイメージを払拭するためにcdmaOne2という、もうOneだかTwoだか分らん
名前で宣伝をしたりしました。
そしてセルラーとIDOはauという統一ブランド化を果たします。
結果的に、アンテナは少ないものの、cdmaOneは電波が強い!だとか
建物の中でもバリサン!(アンテナが3本立ってる事)とか
人混みでも花火大会でも普通に音がいい!とか
口コミでcdmaOneのパワーが広がったのは事実だと思います。
そこに追い討ちをかけるように、auは「学割」をケータイ業界で初めて採用。
学生の取り込みを開始しました。
この事からも分るように、cdmaOneは2.5世代と呼ばれる事があります。

この頃のDoCoMoは、怠慢・殿様商売もいいところで
既に他社では普通に可能だったE-Mailのファイル添付機能すらできませんでした。
他社がウチに合わせれば良いじゃん?という感じです。
他社の値下げに通話料の改定も行われず、端末の高級感だけが取り柄でした。
何故か客が他に流れつつあるJ-PHONE。藤原紀香で猛アピール。
結果的に、メール機能を拡張する目的でケータイに革命をもたらしました。
カメラの搭載による、写メールとムービー写メールです。
TU-KAはKDDIに統合されてからはもう、やる気ゼロ。話せりゃ良いじゃん。

そして、増え続ける通信データ量に効率よく対応するため
auは第3世代方式、cdma2000を導入したわけです。
cdmaOneとの親和性が高く、相互利用も可能で
きわめて低コスト・短期間で第3世代へ移行できました。

そしてDoCoMoやJ-PHONEは、W-CDMA方式開発し採用しました。
クアルコム独占規格ではないW-CDMA方式は世界中で採用され
今後はW-CDMA方式が標準となっていくでしょう。

番号ポータビリティも開始され、方式云々よりも
端末とキャリアの切り離しが重要になっているのかもしれませんね。
より自由な競争というやつです。