現実逃避

1998年にプレイステーションでゲームとして発売されたアニメがある。
ドラマをプレイする「やるドラ」シリーズの第一作目、
やるドラ第一弾の四季をテーマにした4部作のうち、夏の作品である。
作品名を、Double Cast(ダブルキャスト)という。

老若男女問わず人気のある、サスペンス系ストーリーで
10年以上経つ今でも定評のあるゲームだが
私はこれをゲームで終わらせておくのが非常に惜しいと感じている。
ProductionIGの作品ではあるものの、ジブリの若い新監督あたりから
オリジナルアニメーションとして映画化したら面白いのに。
そのくらい期待できる作品であると思っている。

やるドラは、アニメをプレーヤーが見て、選択肢でストーリーが分岐する。
分岐は「寄り道」とは程遠く、味方、悪役、といったキャスティングや
エンディングがまるっきり変わってしまうし、物語中の善悪すらひっくり返る。
オープニングが変わる場合もあり、完全な外伝ストーリーに突入する。
当然ながら、キャラの性格や生い立ち、背景、ヒロインも変わってしまう。
30種類程のエンディングと寄り道分岐を含めた全体の話を100%とすると、
1プレイでオープニングからエンディングまで見られるのは30%以下である。

まさにゲームにするために作られたアニメだが、
これを映画化すると「分岐」「マルチエンディング」をどう表現するかが問題となる。
SFをモチーフとした作品であれば、特殊能力で片付けられる話だ。
ループ世界、タイムリープ、世界線越え、夢でIF世界を見る、などなど。
そんな、サスペンスやSFに満ちた活劇をジブリの若い人が作ったらどうなるか。
淡い期待を抱いてしまう。

これこそ、夢物語だな。

ポータブルプレーヤ遍歴

 中学
1995 08月 SONY WALKMAN WM-GX711購入(全ての始まり)
1996
1997 10月 Pioneer PMD-R2購入(SHARP MD-MS200の同等品)
 高校
1998 コンパクトカセットの使用をやめる。
1999 MP3を使い始めるが、PCの性能が悪いため遊び程度。MOに保存。
2000 CD-Rをガシガシ使い始める。
 大学
2001 09月 RioVolt SP90購入(iRiver iMP-100のOEM)
2002 MDの使用をやめる。音楽はMP3かOggVorbisかMonkyAudioでCD-Rに保存。
2003
2004 11月 iRiver iMP-350購入(別名:SlimX)
 社会人
2005 CD-Rを使わなくなる。HDDを買い替えながら溜め込むスタイルに移行。
2006
2007 03月 iRiver clix購入
2008 12月 iPod touch購入
2009 04月 iPhone3G購入
2010 08月 iPhone4購入
2011

社会人になってから買い過ぎ

MDレコーダを出してみた

懐かしいモノを発掘した。
スロットローディング方式のポータブルMDレコーダである。
パイオニアのPMD-R2。

1997年の秋に購入。14年前の代物か。。

こいつはシャープのMS-200のOEM製品で、
ATRACを独自に進化させ、24bit幅で演算されていたため
ボロクソに言われていたMD音質の中でも、比較的定評があった。
(特に登場当時のMDは演算精度が激しく悪く、音質が悪かったそうな。
 ATRACのアルゴリズム自体はそれほど悪くは無いが、
 MDの能力を生かし切れていなかったということらしい)

大型のリチウムイオンバッテリーを搭載しており、
外出先での長時間録音に使える。

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年代別できごと

私は1982年生まれです。
何となく覚えてることをWikipediaの年代別できごとから抽出してみました。
80年代後半から、90年代前半は、「現代」を象徴する出来事が沢山ありました。
・JRや日本航空が民営化、NTTが民営化初の株式を発行
・ベルリンの壁崩壊(ドイツ統合)、冷戦終結、ソ連崩壊
・東京ドームやベイブリッジなどの大型建造物の完成

1986年
チャレンジャー号爆発、男女雇用機会均等法、チェルノブイリ原発事故、ドラクエ1発売

1987年
アサヒスーパードライ発売、Macintosh II発売、洗剤アタック発売、仙台地下鉄開業、
東北自動車道が全線開通、日本航空が民営化、おニャン子解散、
ファイナルファンタジー発売、NTTが携帯電話を商用開始

1988年
東京ドーム完成、瀬戸大橋&青函トンネル開通、千葉都市モノレール開業、
ファイブミニ発売、ドラクエ3発売

1989年
昭和天皇崩御、横浜ベイブリッジ開通、幕張メッセ開場、JRが初の発車メロディ導入、
ゲームボーイ発売、NHKが衛星放送開始、天安門事件、SONYがビデオカメラ発売、
美空ひばりが死去、太陽誘電がCD-R発売、おとなのふりかけ発売、ベルリンの壁崩壊、
東証が最高値をつける

1990年
センター試験が開始、京葉線が全線開通、ハッブル宇宙望遠鏡が軌道に設置、
スーパーファミコン発売、秋山さんが日本人初の宇宙飛行

1991年
ジュリアナ東京、オレンジ輸入自由化、雲仙普賢岳で火砕流、SMAPがCDデビュー、
ソ連崩壊

1992年
新幹線のぞみ運転開始、公務員の週休2日制開始、学校5日制開始(第2土曜日のみ)、
毛利衛が宇宙飛行、ソニーがMD発売

1993年
山形でマット死事件(以後いじめが社会問題化)、世界貿易センター爆破事件、
長野自動車道全線開通、ディズニーランド10周年、船橋にザウス開業、
横浜ランドマークタワー開業、記録的な米不足、田中角栄死去、
フジテレビアナウンサーの逸見さん死去

1994年
郵便料金が値上げ、ウィダーインゼリー発売、松本サリン事件、向井千秋さんが宇宙飛行、
ビートたけしバイク事故、横浜に都筑区と青葉区が誕生、セガサターン発売、
プレイステーション発売

1995年
阪神淡路大震災、カシオが初の家庭用デジカメ(QV-10)を発売、地下鉄サリン事件、
プログラミング言語Java発表、PHSサービス開始、九州自動車道全線開通、
Windows95発売、ゆりかもめ開業

1996年
O157食中毒多発、PHS/携帯電話の普及が加速、若田光一が宇宙飛行、
北海道の豊浜トンネルで岩盤崩落事故、東京ビッグサイト開場、
Yahoo!JAPANサービス開始、NINTENDO64発売、
スティーブジョブズがアップルコンピュータに復帰

つづく

家庭はプライベートです

ミクロな考え方で捉えがちな家庭というものに
無理矢理マクロな視点をねじ込んでみる。

■ミクロな視点で家庭運営
自己の利益のみを追求する視点となります。
可能な限り社会とは隔絶し、お互いに影響が無いようにつとめます。
家庭内の生活の充実や利益のみを念頭に、家庭を運営します。
社会は家庭のために利用するもの、
家庭から社会へ影響を与えることはできない
という考え方となります。

■マクロな視点で家庭運営
自己と他者を含めた組織の利益を追求する視点となります。
自分の家庭が社会に何ができるかを明確にして
社会や地域の未来の利益にどのような貢献ができるのかを念頭に、
家庭を運営します。
社会は個々の家庭の集合体なので痛みも利益も共有されるべき、
という考え方となります。

組織運営をした事のある人は、どちらの視点も持ち合わせています。
した経験の無い人は、通常、ミクロな考え方に理解を示し優先します。

携帯電話の通信速度

確かに、携帯電話の通信速度はこの10年で飛躍的に向上した。
10年前の先進的な通信方式であったcdmaOneですら、
当初は14.4kbpsであった。(ドコモなどのPDCは9600bps)
14.4kbpsといえば、1994年頃のモデムの速度である。
これは、インターネットに繋いでWebサイトを見ようとすれば、
文字や画像のダウンロードに時間が掛かり、徐々に表示されるような速度であった。
感覚としては、Yahooのトップページを表示しきるのに10-20秒は要す。
(それを懐かしく感じる人もいる事だろう)

しかし10年前は、外出先で速度が欲しければ64kbpsを誇るPHSがあった。
エリアが広さが最大目的の携帯電話で、それほどの速度が出るのなら、
PCに繋いでメール確認程度の通信であれば必要以上の性能であった。
(ちなみにcdmaOne発売当時のモデムの速度は56kbpsである)

その後、1年ほどでcdmaOneでも64kbpsの速度が出せるようになった。
(auの端末では、PacketOne対応と呼ばれていた)

数年後、第三世代と呼ばれるCDMA2000が登場して
144kbpsという実用的な速度が出るようになった。
また、その後ドコモはW-CDMA(3G)を利用したFOMAでは
384kbpsが出せた。

この頃になると、携帯電話の使われ方が大幅に変わってしまい
端末だけで大きいデータのやり取りが頻発するようになった。
例えば、GPSや写真、音声、動画のメールであったり、Webである。

携帯電話の通信速度は、最大速度であり、
同一エリアのユーザ数により速度が分割されてしまう事は想像に難くない。
いくら大容量化してもやりすぎることはない時代になった。

その後、第三世代にどんどん改良が加えられ、互換性を保ちながら高速化が図られた。
FOMAなら7.2Mbps、CDMA2000なら9.2Mbpsが、現在の利用できる最高速度である。
(本気になればもっと何倍も速くできるが、
 第四世代を見込んでいる点とコストがかかる点で、商用化されていない)

そして今、スマートフォンが普及し、ユーザが大量の通信を行っており
どのキャリアも通信帯域が枯渇している状況である。
更なる高速化が急務となっている。

なんとなく調べてみた20代の年収

■サラリーマンの平均年収
20?24歳の平均年収は、248万(2008年)
25?29歳の平均年収は、343万(2008年)

尚、20代の職業別平均年収は
プログラマは399万円
美容師は286万
理学療法士は392万

☆勝手な想像に基づく給与額の目安☆
■年収230万
月給17
ボーナス15 x2

■年収260万
月給18
ボーナス20 x2

■年収300万
月給20
ボーナス25 x2

■年収360万
月給25
ボーナス30 x2

■年収400万
月給27
ボーナス40 x2

■年収460万
月給30
ボーナス50 x2

■年収500万
月給32
ボーナス60 x2

こまちのひみつ

私は小さい頃に宇都宮市に住んでいた。
宇都宮には東北新幹線が走っている。

当時の東北新幹線は1982年に開業して数年目であり、
駅のホームも線路も新しく、大宮 – 盛岡間しか開通していなかった。
数年後は首都圏の上野まで、更に数年後に東京まで開通して便利になった。
宇都宮-上野間は、在来線だと時間が掛かるため新幹線が楽だった。
当時の新幹線の指定席券が、判子と手書きで特徴的だったのを覚えている。
また、停車直前の車内放送チャイムが駅毎のご当地メロディだった…ハズ。
昨年(2010年)には、遂に新青森までいけるようになった。
このように、東北新幹線は開業から全線開通まで非常に長い期間がかかった。

さて、大宮では妙な光景が見られる。
東京方面から、秋田新幹線「こまち」がやってくるのである。
「はやて」の先頭に「こまち」が連結された状態である。紛れもなくこまち。
白いボディに黒い窓、グレーと紅色のラインという、美しい姿だ。

ちょっとだけギョッとしてしまった。

…私の記憶が正しければ、こいつは秋田の在来線を走る「こまち」である。
…しかし何故か東京から新幹線ホームにやってきた。
…こまちは、ミニ新幹線なのに、フル規格の東北新幹線の線路を走っている。
…もしかしてミニ新幹線車両はフル規格の線路を走れる???

フル規格は、在来線に比べて線路の幅が広い。
そして秋田新幹線こまちは、E3系のミニ新幹線である。
在来線の特急と同じサイズで作られているから、ミニ新幹線と呼ばれている。
だから線路の幅も、車両の大きさも、新幹線より小さい…ハズである。
その証拠に、いま新幹線のホームに入ってきた「こまち」は、
車両とホームの数十センチの隙間を埋めるために、ドアの下にステップがせり出している。

調べてみたら、「こまち」はフル規格の車輪幅の台車がついていた。
小さいのは車体だけであり、速度はきっちり出せる新幹線なのであった。
んで、秋田の在来線の線路側を改造して、フル規格車両が走れるよう
外側にレール1本増やし、3本のレールを通すことで、両規格に対応しているそうだ。
ただし、こまちの台車の車輪の前後の幅は、通常の新幹線より短いらしい。
たぶん在来線はカーブがきついためだろう。

やべえ、くびがまわらない

4日間あったお盆休み(13日?)が3日間になった。
本業の仕事がおわらないから。

20(土)は名古屋で自社業務、21(日)は休日出勤、
27(土)と28(日)は大阪 で自社業務。
(複数の組織にまたがって仕事してるからこういうことになる)

んー、死ぬかもしれない。3週間休み無いじゃん。

ただでさえ、労組の仕事で自宅で
毎日夜2時までメール書いて、計画したり決めたり指示したりしてるのに
(労組は会社業務ではないので業務時間外に仕事します)

うーん、どう考えても18日間連続稼働は無理だな…
どっかで倒れるか風邪ひく可能性が。。。

違う組織をまたがって稼働日が連続してるから
連続稼働日数を自分以外が管理できないという恐怖を味わっている今日この頃

※松本ぼんぼんが終わったから少しは楽になると見込んでいたんだが…
 そうは問屋が卸さないってか!

MacBook Air 13が届いた

MacBook Air 13が届いた。
きまぐれでUSキーボードを搭載した。

SDカードスロットとThunderbolt​搭載。
ベンチマークテストとしてニコニコ動画を見てみたが、
流石​にフルスクリーンでシュタインズゲートを見るとOPからファンが​回転し出した。
ただ、文字や動画に滞りなし。サイズで性能が犠牲​になっているわけではなさそう。
期待以上でも以下でもなく、期待通りという結果だった。

ただ、やはりSSDは高速だった。ちなみにサムスン製である。
Lionの壁紙はやっぱりライオンだよね。。