セレンディビティ

計画された偶然性
偶然の幸運を生み出すための仕組み

幸運とは、思いがけないからこそ幸運と思えるのかもしれません。
何故なら、得した気分や幸せの感情とは、対比するものがあって初めてそう思えるからです。

さて、偶然の幸運ということがあります。
とても珍しい、良い意味での思いがけないハプニングのことです。
それは宝くじに当たったとか、乗りそびれた飛行機が墜落したとか、いろいろです。
それはそれは偶然な幸運なのです。

しかし、これらをただの偶然と片付けてしまうと、損をします。
それら偶然の幸運は、偶然の事態を用意した本人の行動が前提となっているからです。
つまり、本人の行動が偶然という無数の確率から幸運寄りな事実を呼び寄せたわけです。
だから行動の取り方で、運の良さが変われると考えられるのです。

運も実力のうちといいますが、成る程実力かもしれません。
前例の宝くじの話ですが、宝くじに当たるためには、前提の既成事実として「くじを買う」必要があります。
はい、ここで既に人と差が出ましたよ。これが実力差。

とても当選人数の少ない懸賞で自動車が当たる幸運があったとします。
しかし、その懸賞に応募するとしないとでは、そこから未来に続く選択肢にどれだけの差が出ると思いますか?
当然ですが、応募しなければ、当たった場合の人生ルートがその場で消えます。Ifの世界、よくパラレルワールドと言われますが、「可能性」と言い換えられる偶然の幸運が、消えてしまうのです。

考え方は実にシンプルです。
「どうせ?だから」という理由で、避ける癖が思いがけない幸運を逃している。

なんでも試してみることです。

おざなり と なおざり は 意味と漢字が違うようだ。
わかっていていい加減にするのと、わかっていなくていい加減になってしまうの違い。
しかしこれらの言葉は、元々は同じ意味らしい。
あたらしい と あらたな の音転現象と同じ事が起きたようだ。
さざんか と さんさか も音が転じてしまっている。
「ふいんき」も未来の正しい日本語になりそうだし、いろいろ言いにくいものは変わっていくだろう。

そう言えば、「お電話」や「お手紙」は手段に対して「お」を付けている。
この「お」は、誰の所有でもない言葉に対して付けているので、謙遜ではなく美化の「お」である。
従って、近い将来メールも「おメール」とするのが普通になると思われる。
なお、美化の「お」は自分の品位を高める効果がある。だが多用すると品位が下がる諸刃の剣。

ただ、現在では普通とは言えない使い方なので、
無理に美化の「お」を使用すると品位が下がる可能性が否定できない。