今日は雷が鳴りすぎです。
お米の軽量カップや、スズキのディーラーにも行けませんでした。
昨日にひき続き、Debianの構築をしていましたけどね。雷でADSLが切れやすかったです。
気分はいつもぐーるぐるぅ!シノブでーっすぅ!
この続きは、「いま、会いにゆきます」を見たことのある人しか読まないほうが良いです。思い切りネタバレです。っていうか、映画全ストーリーのアウトラインを書いたので、読んだら間違いなく映画を見る意味がなくなります。
簡単に言うと、KanonやAIRとの共通点が多いということを書いています。
タクミ(29歳)と息子のユウジが二人で生活している。
ミオは昨年、28歳で他界してしまった。
29歳の、雨の季節にまた会いに行きますと約束をして。
ミオが突然、二人の前に現れた。約束のとおりに。
しかし、ミオの様子がおかしい。記憶が無いように見えるのだ。
タクミは、ミオにどのようにして夫婦になったかを話した。
もちろんタクミが主人公で、高校生の頃からずっと片思いだったことや
大人になってからの想いまでをまるっと話した。
結婚は、ミオの押しで決まったと話した。ミオは絶対の自信があったのだそうだ。
ミオは、3人の生活に慣れていった。
なぜ自分がこういう境遇にいるのかを知らないミオは、知りたいと思い始めた。
そして、自分の日記帳を発見し、読んでしまった。
雨の季節に現れたミオは、梅雨が終わると消えてしまう。
タクミは、そのことを知っていた。
ミオは今の時間を精一杯使おうと必死になる。
ユウジのために、バースデーケーキを何年分も予約したりした。
そして、梅雨が明ける。
ミオはユウジをつれ、自分が消えるのを待つ。
タクミが必死で追いかけ、間に合う。
タクミとの会話の中、ミオは消えていった。
その時ユウジは、ミオの日記帳を持っていた。
タクミはそれを読み始める。
もちろんミオが主人公で、高校生の頃からずっと片思いだったことや
大学生になってからもタクミを追いかけていたことがつづられていた。
しかし20歳の時、雨の中ミオはタクミを追いかけ、交通事故にあってしまった。
倒れたと思った瞬間、ミオは違う場所にいた。そこも雨が降っていた。
気がつくと、男の人と男の子が近くにいる。29歳のタクミと、息子のユウジだった。
ミオは二人に家族だと言われ、一緒に住むことになった。
”なぜ私はタクミと結婚しているのだろう。息子までいる。”
ある日ミオは、見慣れているが古ぼけた自分の日記帳を発見した。
梅雨が終わると私は消える
消える前に、母親らしいことをしなくては。何のために私はここにいるのか。
今分かった。私がいなくてもちゃんと家事ができるようにユウジに教えよう。
ユウジのためにケーキを予約しよう。
私がいなくてもちゃんとやっていけるように、二人を誰かに託そう。
梅雨が明け、ミオは、ユウジと話しながら消えていった。
ミオは消えた瞬間、いつのまにか病院のベッドの中にいた。そう、夢だったのだ。
ミオは夢の中で9年先の梅雨へ旅に出て、未来の二人に出会っていたのだった。
20歳までの記憶しかないから、タクミやユウジには記憶喪失に思えたのだ。
どうやら自分は28歳で死ぬらしい。
タクミは自分をずっと片思いだったらしい。
自分はユウジという息子を産むらしい。
全てを知っているミオはタクミに会いに行き、絶対の自信で結婚を押した。
そして死ぬ時に、来年の雨の季節にまた会いに行きますと約束をした。
↑おそらくここまでが日記帳に書いてあった。
日記帳を読み終えたタクミは、台所に向かった。
そこには18歳に成長したユウジがいて、ミオの予約したケーキが飾られていた。
ギャルゲーのKanonとAIRにそっくりなのが、とっても気になりました。しかしながらリアルでそれ系のファンタジーストーリーをやってくれると、また違う味がして良いですね。
何で恋愛ものに奇跡を混ぜると、時間軸が飛んで再帰的な概念が持ち込まれるのでしょうか。例えば「いま、会いにゆきます」では、ミオは過去の自分のために日記を書くわけです。それを読んだミオは過去の自分のために日記を書き、それを読んだミオは…と永遠に繰り返されるわけですね。この無限ループにより、タクミとミオの喜劇と悲劇が繰り返されるんです。まったく同じ喜劇と悲劇が。誰にも止めることができません。ある意味、呪いです。