そして、ついにIDO/セルラー(現au)が本腰を入れた。
cdmaOneの開始である。
cdmaOneは2Gとされているが、当時最新のCDMA方式をはじめ
3Gの基本技術と同じ仕様で、「2.5G」と呼ぶべきものだった。
2Gで切れる要因だったビルの反射波や、他の基地局の電波を
3つまで同時に受信して合成するレイク受信が最大の特徴だった。
このお陰で、同時並行で複数の基地局と常時通信できることになり、
つまり、常時ハンドオーバーが行われている状態となった。
この方法だと、基地局の切替で通話や通信が途切れないので
ソフトハンドオーバーと呼ばれた。
これらの特徴をアピールするため、
auは「3つの電波を掴むから切れにくい」とパンフレットに書いていた。
ただ、サービス開始当初は基地局側や技術のノウハウ不足などにより
通話品質はかなり不安定だった。
大体1年くらいで、cdmaOneは電波が強く音質もよいと言われるようになった。
エリアこそドコモに負けるものの、人混みでの切れ難さや音質は圧倒的であり
次世代(3G)は確実にCDMA方式を用いると確信できるほどの性能だった。
ただしcdmaOneは設計上、基地局でGPS衛星の電波受信が必要という欠点があった。
GPSの電波を受信すると、GPS時計という正確な時刻を知ることができる。
つまりcdmaOneというものは、ハンドオーバーのために
全基地局で時刻が一致した時計が必要だった。
ビル内や地下の小型局は、GPS衛星の電波を受信できないため
地上と地下を出入りするとハンドオーバーできず、切断してしまった。
そのかわり、地上の基地局では位置情報サービス(地図)が使えるようになったし
端末が自動で時計を更新できる時刻補正サービスも標準で提供された。
(位置情報は基地局の位置なので必ずしも正確ではないが)
そして3Gの時代がやってきた。
まずはドコモがFOMAというサービス名で開始したが、一向に普及しなかった。
というか、ドコモにやる気がなかった。
当時のドコモは今より殿様らしかった。
基地局が少なければ、ハンドオーバーどころの話ではない。
ドコでモ使えるわけではない、などと揶揄された。
そんな中、auはcdmeOneの進化版であるcdma2000を着々と普及させた。
cdma2000は初めからcdmeOneの延長線上の技術として開発されたため
cdmeOneの基地局とシームレスに通信、ハンドオーバーできた。
利用者は自分の端末がcdma2000であることすら知らずに普及した。
電波だけでなく、通信規格の切り替えというハンドオーバーもソフトだった。
au最大の成功である。
ここで大事なのは、
cdmaOneとcdma2000の違う通信規格の間でハンドオーバーできたことだ。
FOMAはmovaと全く別の規格であり、ハンドオーバー出来なかったため、
ドコモのエリア内でも、基地局がFOMA未対応ならぷっつり切れた。
そのFOMAエリアの狭さを補完するためにFOMAとmovaのデュアルモード機も登場したが、
これはユーザが、ドコモ基地局の都合に「使い方」で対応するという機種であり
ユーザに責任を転嫁する、なんとも情けないものだった。
この後、ドコモがFOMAにやる気を出すまで2004年まで待つことになる。
(というかユーザが増えすぎて、早く3Gにしないと電波が溢れる事は明白だった)
ドコモの3Gは、W-CDMAと呼ばれる方式で、基地局はGPSの受信が必要ない。
だから地下と地上の移動でも切れずにハンドオーバー出来る。
ところで、この頃のボーダフォンも3G(W-CDMA)に着手しようとしていたものの
そもそも電波が2GHz帯しか認可されておらず、元々基地局が少なかった事もあり
3Gでハンドオーバーの変化を実感するまでもなく「電波がない」状況だった。
SoftBankになっても「電波がない」「エリアがない」「切れる」「安い」という
恥ずかしいキャリアとして不動の地位を保ち続けたが、
2007年ごろから他社の数倍の金をかけて本気で電波改善に取り組み始めた。
長年のユーザにとっては、エリアの広がりに感動を覚えている状況であり
ハンドオーバーの品質なんぞどうでも良いというのが正直なところだろう。
3Gは皆さん御存知の通り普及が進みきっており、2Gの電波は停波している。
こういった歴史から、次世代の3.9Gとか4Gとか呼ばれるLTEは、
3Gとソフトハンドオーバーできることが最重要課題となった。
そして、LTEがやってきた。。
つづく