国の政治はマクロ視点でいい

国の政治(日本政府)はマクロな視点で行われるべきで
そのためには多少の犠牲はやむを得ない。
ミクロな問題をカバーするために地方行政が存在する。

だが、マスコミは「庶民」という言葉をやたら使いたがり
すべての問題を政府に原因があるような報道を繰り返す。
それを見た、自称「庶民」の人たちは鵜呑みにしてしまい
例によってマスコミが大好きな「支持率」の低下を招いてしまう。
今の日本は国民の思想に一貫性がないため
5割もの人が納得する政治なんてものはまずない。
いかにうまいパフォーマンスやイメージで人気を取れるかという
芸能の要素が必要になってしまう。

マスコミがこういったことをわざわざするのはビジネスであり
視聴者の同情を引くために弱いものの味方を常にしている。
だから、昨日の報道では悪者扱いしていたものが、
今日は手のひらを返したかのように擁護される事もある。
これは仕方のない事で、視聴者側にフィルタを通して情報を受け取る力が
あるかどうかの問題になってくる。
局のために言いたい事を言えないアナウンサーも楽じゃないと思う。

そもそも、現代では何かと中長期的な考え方が否定されがちである。
「今の幸せ」「明日の生活」「10年後はどうなるかわからない」
「すぐ欲しい」「すぐ食べたい」
情報化社会で、何でもリアルタイムでできるようになってきたからか
即時性が無いと意味が無いような、わがままが当たり前になっている。
こういった要求に政府が追従するなんて事はしてなくていい。

自分たちから、身の回りや生活を見直す時が来ているのではないだろうか。

誰でも就ける仕事が無いとか、政府がどうにかできる問題でもない。
円の価値を意図的に下げて発展途上国と同じ生活水準になれば
外資参入により仕事は増えるかもしれないが、それでいいのだろうか?
実はこんな事は「問題」ではなくて「時代の流れ」にすぎない。
時代の流れで、労働力として必要なくなった人は
その時代に必要な仕事をゼロから泥水飲んで始めるしか無い。
(誰だって社会人になる時は泥水飲んで始めているはず)

ま、大阪の橋下知事が発令した公立学校携帯電話禁止令は非常に面白い。
不便とか横暴とか言われているが、あたりまえと言わざるを得ない。
管理者の知らないところで行われる通信が問題で事件が起きても
管理者の責任になってしまうのなら、通信なんてさせてはならない。
学校に玩具やお菓子を持ってきてはならないのと同じことだ。

2件のコメント

  1. 国の政治はマグロ視点でいい、と見えて「なんで鮪?」とか思ったのは秘密だ!!