小中学生の携帯電話禁止案

今、携帯電話の利便性と問題点について政府で議論が加速している。
まず、携帯電話は子供のオモチャではない。
子供には本来必要の無いものであるが、今は物騒な世の中。
長距離通学等で親の安心のため、持たせた方が良い場合もあるのだ。
(携帯電話=安全の確保ではないので、親の安心のためが第一理由になる)

ところが、携帯電話は不特定多数といつでも連絡を取れるという
自由さがある。また、ネットを使った犯罪が増えに増えてしまったことが
今回の議論の原点だろう。

そもそも、携帯電話の用途を考えるべきだ。
冒頭に述べているように、子供向けに作られたオモチャではない。
大人のオモチャである。または、必要だから持つ道具である。

例えば、子供が学校で携帯電話が必要かというと、要らないものだろう。
学校から自宅へいつでも連絡できるという利便性はあるだろうが
そもそも学校と家は切り離されたもう一つの居場所であり、連絡を取り難いのが自然だ。
必要であれば職員が連絡してくれるし、安全も確保されている。
なのに携帯電話を持ちたがる。なぜだろうか。

理由として考えられるのは、友人が皆、携帯電話を持っているからだ。
持っていないと仲間はずれになってしまい、友人との一体感が薄れてしまう。
また、他の人が皆持っていると、携帯電話があることが前提のつきあい方になる。
これは、他人が原因の場合だ。

もう一つ考えられるのは、単に自分がいつでも誰かと連絡を取りたいからだ。
寂しがりやな子、常に誰かと話していたい子、
自分をアピールしたい子はそういった欲があるだろう。

だが俺は、一つの懸念を抱いている。それは後者の原因だ。

まず学校とは先に述べたように、家とは違うもう一つの自分の居場所を作る事で、
精神的な成長を促す役目がある。
学校にいる時の自分は親には見せたく無いという気持ちは、その差が生むものだ。
他人と距離をおいたり、一人でいなければならない時間は、自立を促す。

ところが、携帯電話があると
「突然連絡をとりたくなっても、むり」という「当たり前」が無くなってしまうのだ。
突然連絡をとれると、時間が無駄にならないという利点があるが
多くの子供は時は金なりの世界で生きているわけではない。
それどころか欲求を直ぐに満たせるという甘さを招いてしまうばかりか、
他人との関係や距離感を狂わせる可能性がある。

家にいる時は家の自分、外にいる時は外の自分、という状態から、
家の自分のまま、外の人といつもコミュニケーションが取れてしまう状態になる。
言い換えれば、コミュニケーション量が過多になってしまう。
すると、家にいるのに「寂しさ」を覚えるようになり
独りでいることが不安になってしまうかもしれないのだ。
これを実証するかのように、日本PTA全国協議会の2007年度の
小学5年生の児童と保護者、中学2年生の生徒と保護者を対象にしたアンケートでは
5割以上の子が「深夜でもかまわずメールする」としており
3割は「メールがすぐに返ってこないととても不安」という結果が出ている。
メールは相手が読む時間を制限されないモノのはずなのだが。。
時を選ばずに、誰かの反応、コミュニケーション、ふれ合いを求めていて、
携帯電話はそれを満たす道具になっている現状がある。

これは大人でも起こりうる事で、本来寂しいなら外に出て、
自分の居場所を見つけなければならないのに
ケータイやネットのコミュニケーション手段があれば
自宅にいても多数(そして好きな相手だけ)と触れ合う事ができ、
満足してしまうことから
NEETやひきこもりの問題に一部関係してしまうのかもしれない。

また子供は、ある程度の制限を科すべきで、便利さを享受するものではない。
そうでないと、大人と子供の違いが曖昧になってしまい、新たな問題を招く。

という考察に基づき、携帯電話所持の自由制限と、
携帯電話のネットのフィルタリングは賛成である。

子供からしてみれば、冗談じゃない!と思うだろう。
だがこの現状をより良く改善する、大人の意見を超えた意見が出せないのなら従うしか無い。
悔しければよく考えて、考えに考え抜いて意見し、皆を納得させなければならない。
自分の要求ばかり並べるのは只のワガママ。
[弱者は自ら弱者になる状況を招いている]ことを自覚する必要性は重要だと思う。

そして、次の問題はケータイに慣れすぎた親から生まれるかも知れない。
現状の小中学校が抱える、親と学校の問題点は、
一人っ子が増え、子育ては常に初めてで不慣れな親が増えたのが原因の一つであるように。

また、大人になったら嫌でも持たなくなければならない状況に陥る。
ケータイの無い時期を過ごす方が、貴重な経験になる時代なのかもしれない。