小学校事情?

小中学生の頃の友人は、小学校の先生でよく鬱になってます。
昔は普通でも、今はタブーな事っていっぱいあるみたいで。
その友人は、時折の授業崩壊に苦戦しているようです。

授業の題材に出来ないだろうなと思うのは、
身近に発生する個人差に関する事。
例えば、親の職業 だとか、お父さん(お母さん)への手紙、とか。
(家庭の事情を学校に持ち込まないでとも思うが子供に罪は無いし)

また、子供って大人だと何も感じない冗談を言っても
スルーとか融通を利かす事が出来ず
真に受けてストレスに感じてしまうのだそうです。
これが想像以上に難しくて、ノリで出来る職業ではない事を伺わせます。

差別はダメだけど区別は必要だと思うんですけどね。社会性として。
個人の特徴に、公平性は本来無いはずです。だからこそ特徴っていうんですが。
自分を理解して、分相応に生きられればそれで良いはずです。
太っている人に「あんた太ってるな」と言っても、
その人は自分が太ってる事を理解しているので、それほどストレスには感じません。
同じように、僕みたいな背の低い人に「ちびっこやな?」と言っても
生まれた時からちびっこしているので、もうどうでも良い事です。
そんなもんで人生が変わるとは思えませんし、変わるとしたら
今の自分の生き方、物事の楽しみ方が間違っているだけでしょう。
(子供にそんな考え方を押し付けるつもりはありませんけど)

また、ちょっと考えたくもないですけど、受験を控えている子供のクラスに対して
評判の悪い先生が就くと親が苦情を言いに学校行く事があるそうです。
常に最良の条件を用意したいのが親の考え方かもしれませんが、
どこかで得をしたら必ずどこかで損をするのが自然ではないでしょうか。
人生は山あり谷ありだからバランスが保てる、というのは体験してこそ分るのに。
親の役目は、子供の人間性と自立を促す事だけだと思いますヨ。
人間は、自分のしたくない事は見かけ上していても本質的にはしません。
親の期待は、只のストレスです。その子供は自分の子に期待するかも知れませんね。

なーんて持論が例えあっても、
学校の先生側は親にぶちまけられないフラストレーション。
先生の権力はもっと高くていいと思いますよ。
大人しか居ない会社だって、ガーッと怒鳴る怖い上司が必要な事も多いですし。

思い出してみると、小学生の頃は「空気を読める」人はいじめられなかった気がします。
この場合の空気を読むとは、その行動の善悪は別として、その場だけは
周囲の人にとって都合の良い受け答えをすると言う意味です。
そして心の中では、やれやれしょうがないな、と偉そうな気持ちなのだ。

要は、とにかく周囲に優しくして、自分がそれは違うと思っても
相手に合わせて同意、賛同していればいいわけです。
僕としては、思考停止の八方美人みたいで何か嫌な行動ですが
きっと女の子の発言と行動が食い違う理由はそんな状況なんじゃないかと。

自分の将来に、何の疑いも無く自分で期待する。
そう思っていられたのはあの頃でした。