コスプレって自己満の世界だと思うんですが、それは、自分の衣装とそれを着た自分の姿で遊んでいるからだと思うんですよ。
この、「それを着た自分の(奇抜な)姿で遊ぶ」という部分をコスプレとするならば、奇抜な格好を気に入って、人前で平気にできることは全部コスプレと言えないか?
北野タケシが、いつも着ぐるみを着てテレビ番組に出演しているが、あれは立派なコスプレだ。彼はその姿でウケを狙い、その自分で遊んでいる。
それは極端な例だが、実は世の中の奇抜な「ファッション」は大抵「それを着た自分で遊んでいる」のだと言えないだろうか。また、遊んでいるわけでもないにしろ、人前で平気で奇抜な格好ができる(その格好なら自分は納得できてしまう)ならば、同じことである。
どこが同じか?
それは、「自己満」の部分だ。つまり、他人の目を気にしないふてぶてしさだ。
オレは、一度、猫耳のヘアバンドをつけて町田という地を練り歩いた事がある。
その奇抜な姿は恐ろしく目立ち、人目が痛かった。だが、不思議なことに慣れるとその視線が快感に変わるのである。そのとき、この行為はコスプレとなった。
恐ろしくキワどくて普通ありえないような水着を平然と着れるのも、コスプレ。
逆に、何も着ないのもある種コスプレと言えるのではないか。それがひとつのファッションだと思っているならばなおさらだ。
この、コスプレの定義を考える経緯に至った理由は、制服とスクール水着である。
制服を着て学校に行くのは至極普通であり、制服を着ないと怒られるくらい当たり前の世界である。また、スクール水着でないと体育を許されない学校も普通であろう。
しかし、これらは「学校、学生」というフィールドでのみ「普通」なのだ。
それ以外で利用することは、非常識極まりない。妖しさ満点、ヨコドリ40萬である。
コスチュームとは、その場に合う合わないが必ずある。また、着る人によっても合う合わないがあることは今更であろう。オレだってスカートはきたいが美しくないの分かってるからしない!!
あー。あああああ?あ??