ふかくてひろい

愛 それは
 時に厳しく
 時に激しく
 時に切なく
 時に甘く
それが同情で生まれたものだとしても
関係がそれで壊れても
一時的であったとしても

少なくとも、自分に対して生まれるような感情ではない。

自分に対する愛・自信はそれとは違う。
その愛はナルシストとは違う。プライドがないのに説教はできない。
自分を大切にできない人は他人を大切にしても喜ばれない。

かといって、他人を大切にするあまりに自分を犠牲にする覚悟も時には必要なんじゃないか
例えそれが利己的な考えであっても義を貫くことはサムライ魂。

他人にはいつも懐疑的。おれはいつも懐疑的。
だから
誰かが倒して去って行った自転車を起こす友人を見たとき、感動して感心して何か非常に悲しくなった。
自分が。だって、おれは多分そういうことできないから。

バスに乗った時、みんながいつも降りるようなバス停に差し掛かる。
乗客は誰だってこう思う。
 「誰かが停止ブザーを押してくれるだろう。私が押すブザーで他人も降りるのは馬鹿馬鹿しい。逆に利用してやる」
そして誰も押さずにバス停を通り過ぎるとみんな険しい表情になる。
オレはそれを中学の頃から見てきた。自分から苦労を買うのはオレにとっては生易しいことじゃない。

信用たる人物とは、かくも少ないもの
他人を信じて裏切られても自分のせいだけど、だますほうが悪いに決まってる。
そんなことは分かっててもYESと言えない

子供は親の考え方をそのまま自分の考えだと思う傾向があるという。
そのまま成長しても、根底の考え方は親のそのものらしい。
それを考えた時、親の思考パターンが手に取るように分かる。
だから、たぶんオレの親も懐疑的である。

佳いのか悪いのかは分からないけど、自己分析する時間が最近できた。
だから少なくとも有効であったと思いたい。