クレヨンしんちゃん時代2

社交性に嘘はつきものである。
僕がこれを感じたのは幼稚園児の頃であった。

朝、一人で幼稚園に通う道、友人に話しかけられた。
友「ねえ、トランスフォーマーって面白いよねー」
―トランスフォーマー?何だそれは…知らない…
僕「ああ、あれ面白いよねー」
友「なのに昨日、最初の方お風呂で見れなかったよー」
―見れなかった…ああ、アニメか。見てないからわからねえ…
僕「あーあ?面白かったのに?」
友「え?ホント?くっそ??」
―多分有名なアニメだな…知らないなんて許されない…
僕「でもアレカッコいいよねー」
友「うん!すごくカッコいい!!おれさ、○×▼※?☆が、&%□¥するのが好きだよ」
―なに言ってるかわかんねー!!でもアニメだよな…たぶん
僕「ああ、僕もそれカッコいいと思う!あのテレビ面白いよね?」
友「うん!大好きだよ。あ、僕こっちだから、またあとでねー」
僕「うん。またねー」
―やっぱりアニメだったか…あぶねえ間違ってたら恥かいてた…

なんてことばかりしてました。
でも、小学生にもなるとボロが出始め、知ったかぶり人間扱いされることもしばしば。

「みんなが知ってるから自分も知らないといけない」
でも、それは難しい。
大きくなってくると、こういう考えが浮かんでくる。
「みんなが知ってるからって自分も知らないといけない訳ではない。自分は自分だ」
更に今ではこう思う。
「他人は他人、自分は自分。だけど、他人に合わることはとても大事だ。例えそれが悪だとしても」
俺は、自分の居場所を作ることに善も悪もないと思う。
人は一人では生きられないが、生きる場所は社会である限り自分だけじゃ決められない。
例えそこが世間には許されない場所だとしても、本人が納得した時、そいつは善悪を考えずに自分の居場所を守ろうとするだろう。
でもそれは普通であって、あたりまえであって、本能だと思う。
だから責められない。

自分もそうすると思うから。