当たり障りのない事を言っていれば、不快感は与えないけど面白くもない。
当たり障りのある事を言えば、面白いかもしれないが不快感を与えるかもしれない。
リスクがあるわけです。
私はいつもこれで悩む。
ターゲットの見極めをしくじると、ただの空気が読めない人間に成り下がるからだ。
こと、ターゲットが不特定多数となると困難を極める。
人によっては、大人ならリスクある行為は控えるべきだ、と言うかもしれない。
しかし私は、それが「大人」のするべき事だとは思えないのだ。
何故なら、大人だからこそできる行為は多く、それは大人のメリットであり、活かすべきだからだ。
当たり障りのある発言を活かしているのは、今流行の毒舌型コメディアンだろう。
彼らは下手をすると芸能人生が終わるかもしれないことを平然と口にしている。
だが、彼らはコメディアンだから許されるのだ。いや、許してもらっているのだ。
逆にこれを許さないとしたら、それこそ大人気ない行為といえる。
更に、彼らは言っても良い状況の上で言っている。許可される場所があるのだ。
しかし、一介の社会人が当たり障りのあることを言うと、白い目で見られるのがオチだ。
そして、どこまでが当たり障りあるのかすら計りかねる場合もたくさんある。
(これは特に、相手に問題がある場合であるが)
小山剛志さんの場合はWebラジオにおいて、リスナーへのサービス精神で、友人である俳優の恥ずかしいことを、多少の誇張を加えて暴露した。喋り方は独特で、常に酔っ払って巻き舌のような感じだ。釣りバカ日誌の浜ちゃんのような、ある意味横柄な態度である。
しかしながら、この小山ワールドは一部のリスナーには受け入れられなかった。
一部のリスナーには知りたくもない(気分の悪くなる)情報であったり、それで時間を食いつぶしラジオの目的からかけ離れた回になってしまったからである。(私としてはこのような特殊な事態を面白おかしいと感じるが)
小山さんは、自分で当たり障りのあることを言っても良い状況を自分で作り出せる力があると思うが、それを許せない(理解できない)人たちもいる。そのときに傷つくのは、お互いなのだ。無粋だね。
大体似た能力の人間が二人いたとして、自分とよく話す人とあまり話さない人だとしたら、どちらに仕事を振る?と聞かれれば、間違いなく、よく話す人を選ぶであろう。
何故なら、頼むことに気兼ねが少なく、能力についても具体的に知っているからだ。
だから仕事ができても、人間関係が下手な人間は干される。
しかし、よく話すにしろ、相手がそれを好まなければ意味がない。
相手に気を使わせるなら話したくもない。
話すなら人と人のコミュニケーションとして、ナチュラルであるべきだ。
だがそのナチュラルさが仇となることは、わかっていても避けられないのだろうな。
それが、気が合うかどうかってことだから。
そこまで気を使って克服しようとするのはやめたほうがいいだろう。自分のために。