仕事をできるようになりたいとは思うけど
それで性格や態度が変わっちゃったりするのは、なんか嫌だなあ。
全然楽しい っていう日本語は、古来正統な使い方らしい。
全然を否定的な事に使う常識は、明治?昭和からの新しい用法だそうな。
ちなみに、「とても」は古来否定的な事に使う言葉だったようだ。
今までイラッとしなかったことにイライラしたり
今まで容認できていたことを許せなくなったり
今まで通じていた冗談が通じなくなったりしたら嫌じゃないか。
なんか真面目っぽいな。
確かに真面目な人は信頼がおけるし仕事もこなすだろうが、それは性格だ。
真面目なやつがマメな事してるのを見ると偉いと思うけど、
たぶんそれができるようになるには性格を変えないといけない。
じゃあ、成長するには性格を変える必要があるのか?
成長したら、見た目からして今と違う自分になるのか?
本当にそれがいいことなのか?
俺はそれは、なんか嫌だなあ。
そんなんなら、仕事がすごくできるようにはならなくていい…
とも思う。
社会人なら仕事は当然ある。
自分のために仕事があるのか、仕事のために自分があるのか。
会議の日に電車が遅れて遅刻しても
社会人なら大事な日はそれを見越してもうちょっと早く乗らないのが悪いとされる。
かといって早すぎても時間の無駄が発生するため駄目。
何でもかんでも厳しけりゃいいってもんじゃないよ。
と、夕焼けを見ながら思った。