卒園式と就職活動

今月は、残業がはじめて70時間を超える。今の規模予測だと75ぴったりだと思われる。
今月いっぱい働いて給料が高くなってしまうと、4,5,6月の割合が一年間で高くなってしまい、税金が高く見積もられてしまうおそれがある。恐ろしいことだ。でも仕方ない。
何にせよ来月の残業手当は10万を確実に超えるので、これを自動車保険や夏タイヤに充てようと思う。

最近、愛する後輩より就職活動についての相談をうけたりしている。
俺はアホなので、相手の気持ちになって相談にのることが下手だ。
自分の考えを述べることはできるが、何を相手が望んでいるかまではわからない。
後輩にとって最良の答えを考えるが、結局自分の考えをエゴイストの如く述べてしまうのだ。
そういうとき、ああ、俺は就職活動で本当に悩んだのだろうか、と初めて悩む。
確かにある程度の葛藤はあった。でも、結局俺のやること、やれることは一つだけだったので、それが出来る仕事を選んだ。ただそれだけのことだ。
しかし、素直にそういう行動をできない人もいる。俺には理解不能だけれど、理由はあるのだろう。

何が正解で何が不正解なのかは、本人次第としか言いようがない。
ただ、いくら好きなことができても、それをやり続けたとしても、楽しかったとしても、お金が入らなかったら完全な負け組なのだ。お金がまずそこにあることが前提なのだ。好きなことをやっていても、お金が入らず自分で食っていくことすら出来ないような人間にはなりたくはないものだ。ただの甲斐性なしであり、ガキともいえる。今世間をにぎわせているNEETはこれに該当するのだろう。

大人とは、好きか嫌いかは後回しにして、できることをやり遂げることが出来る人だと思う。
大人とは、自分の経験と信念に基づいて行動するものだと思う。
だがしかし
大人とは、分らないことでも「分らない、だけどやります」と言えなければならないものだと思う。
大人とは、自分の言動で起きる問題を常に、かなり深く予想して行動しなければならない。(気遣い)
↑京都府警によるとWinnyの作者にはこれが足りなかったらしい。

自分はこの最後の、気遣いが苦手だ。自分の言動により自分に降りかかる問題は予想できるが、自分の言動で他人に降りかかる問題までは予想できない。

以前も書いたかもしれないが、こういう事があった。
俺は去年の夏に中古車を購入したが、中古車とはいえ車種決めで迷っていた。
そこで、客先(職場)で上司と車について話をしていたのだ。

数日後、俺と同じ派遣会社の先輩から、こう言われた。
「お客さんから、○○(派遣会社名)ってスゴい給料もらえるんですねえ。うらやましいなあ。新人さんがもう車買うらしいですね!って言われたよ?。お客さんにはあまり疎まれるような事ないほうがいいから気をつけてね」

つまり、その話をパーティション越しに聞いていたお客さんが居たらしく、
おまけに新車を買うものと勘違いされたようだった。
これはつまり、俺の言動が先輩に迷惑を掛けてしまったのだ。

こんなこと予想できるか。
でも、出来る人は出来るのだろうなあ。