冬休み最終日

朝からわけわかんない夢みて超鬱入ってたSEECOMです。
たまに切ない夢見るんだよな。
2日は乗ってた電車が脱線する夢。
昨夜は妹が声優で、お兄ちゃんも声優になれ!と無理やり色々やらされる夢(他3本くらい)。

昼過ぎに横浜を出て、東京へ。
京浜東北で向かったのですが、俺の前に座った人が履いてた靴がかなり気になりました。
ハイヒールのヒールが低い版みたいな靴だったんですが…
明らかに小指が出てるんですよ。両足とも。
親指から薬指だけで履いているんです。
うーん…。アレでよく骨がおかしくならないなって思いました。

眠い。ものすごく出発時刻が遅れましたが、新幹線は快適でした。
秋田新幹線こまちが止まっていて、何故か盛岡駅ではなく東京駅で人がごった返していました。
わけわからん。おかげでみどりの窓口で切符買うのにすごい時間かかっちゃったじゃないか。。。

実家が新築を葉山に立てたので、今月末引越しだそうです。
実家にある俺の荷物も移動されるので、少し整理してゲームソフトや書籍をもってきました。
カードキャプターさくらのマウスパッドとか、アクアノートの休日とか、ダブルキャストとか。

年賀状とか書いてて思うんですが、
友人関係っていうのは、どちらかが仲良くしたいという気持ちを持っていれば成り立つじゃないですか。
別に両方がお互いに仲良くしたいと思っていなくても成り立つんです。
例えば、相手は自分と仲良くしたがっている。邪険にする必要は無いから、自分と相手は友人だ。
これだけで成り立ちます。もちろん逆の立場でも同じです。

でも、仲良くしたくない。友人でありたくないと思うと、「邪険にする必要が無いから」という部分が変化します。つまり、「嫌いだから邪険にしても良い」ということになり、お互いは破局の一歩をたどります。
しかし問題は「嫌いだけど邪険にする必要は無い」場合で、これは相手との関係性を保ちたい気持ちの現れです。つまり、実のところ、そんな嫌いじゃないんです。でも嫌いになりそうな何かがあるんだと思います。

そして、この友人関係は時と共に変化していきます。
環境や立場、自分と相手の気持ちが変化するからです。
中学の友人なんて、高校が違ってしまえばもう一生会わない人も多いでしょう。
高校や大学の友人だって、余程仲が良くなければ連絡を取り合うこともなくなります。1年位お互いに連絡を取り合わなければ、もう他人です。どちらかが引越しをしてしまえば、二度と会えないでしょう。でもそれって、よくある普通のことですよね。

よく、広げよう友達の輪って言うじゃないですか。あれは難しいことだと思います。自分の友人は、時と共にコミュニティが横スクロールするように切り替わっていくものです。でも、その中でもほんの少人数(1人や2人)が、親友になって、友人として残っていくんですね。

んで、年賀状はそういう人だけに送ればいいじゃないですか。って思ったんですよ。
でも、実は別の意味合いもあるんじゃないかと気づいたんです。
それは、「関係性の整理」です。
年賀状を送る相手は、二つに大別できます。
「元旦に届くように送るべき相手」と「送られてこなければわざわざ送らなくていい相手」です。

会社に勤めていると、特に昔の場合は、誰にでも年賀状を送るのが礼儀のようなものだったそうです。
でも、一回送ってしまうと、それが慣習付いてしまって止められなくなるんです。
だから、「送られてこなければわざわざ送らなくていい相手」にはわざと年賀状を送らずに、相手から送られてくるか待つわけです。送られてきたら関係性を保つために送り返し、そうでなければ止めてしまうんです。
関係性の整理ですね。

なにか、日本の黒い部分を見た気がします。