なにが良くてなにが悪い

 なにが良くて なにが悪いなんて 人によって違う。
 これを基準化して、押し付けることによって秩序を守るものが 法律。
 法律が存在する理由は、人間社会には絶対的な善悪がないからなのだ。
 それが例え人殺しだろうが自殺だろうが、人によっては悪とはいえないのである。

 戦争に法律はない。ただひとつわかっていることは、勝者こそが正義だということ。
 これは自然界がそうであるがゆえ、当たり前の理論であり、納得するのに苦はない。

 何かトラブルが発生した時、第三者の冷静な目から見れば、善悪の判断はつく。
 だがそれは第三者の判断に過ぎない。裁判で言う裁判官がそれに当たる。
 裁判において判決が絶対であり、従わなくてはならない理由は、それが法律だからである。
 法律がなければ、判決など裁判官の判断に過ぎない。裁判官は、こう思う。それだけだ。

 わかりやすい例をあげる。
 日本放送とライブドアの騒動を思い出してほしい。
 第三者の目から見れば、法的にもライブドアのしていることは間違いではない。悪ではない。
 だが日本放送からしてみれば、ライブドアは紛れもなく悪なのだ。
 その日本放送に、納得しろということは無理である。
 だが、裁判で日本放送は負けた。だから日本放送が悪いのだ。
 で、あなたは日本放送が悪いと思えるか?
 もしあなたに迷いが少しでもあったなら、それが善悪の判断の弱さだ。
 これこそが、法律を作らせる理由なのだ。
 
 迷いがまったくない人は逆に危ない。
 それは人の集団の中では自己中心主義(自分は神)に他ならないからだ。
 世の中にはいろいろな人がいることをもっと理解しなければならない。
 そしてそれを認めることが大事である。

 人の気持ちってのは、冷静な判断による善悪の区別を無視するようになっている。
 だから、気持ちを考えて、思いやりをもって、相手と接しなければならないのだなあ。 みつを