自分の行動に「責任」と「誇り」をもてないやつは人間として認めません。
たとえその行動が、他人からみたら悪だったとしても、確信犯であるならば立派だと思います。(確信犯とは、己の信念に基づいて犯罪をする人のことです。正しき道と信じて行動した結果、罪になってしまっただけです)
組織ってのは、恐ろしいものです。組織に所属するということは、その組織の顔になるということでもあります。数千、数万の組織の中の一人でも問題を起こせば、組織全体が問題を起こしたことと同義になります。これは揺るぎない事実であり、考え方の問題とかそういう生易しいものではありません。例えば、オウム真理教(現名・アーレフ)のサリン事件はオウムの上層部が起こした事件ですが、オウムという組織自体が危険とされ、金も住む場所も身よりもない下級信者達が肩身の狭い思いをしています。オウムは極悪な大事件を起こして有名になりすぎました。雪印も、三菱もそう。
これは、宗教でも、家庭でも、学校でも、会社でも、政党でも、国でも同じです。組織ってもので包み込めば、分かり易いんです。人はわかりやすい事が好きですよ。まあ、それは悪いことではないと思いますが。
社会というものは、多くの人の競争と協力により成り立っています。自分一人の力では絶対に成り立ちません。したがって、社会の中で生きていくには、他人との共存をまず考える必要があります。それは一度考えればいいとかではなく、日常生活の端々で考えなければならないことです。挨拶なんかがいい例ですね。この、他人との共存というものはよく言われるので、分かってるよそんなこと。となりがちですが、これがかなり難しいのですよ。
他人との共存を考える上で、なんでも自分でやろうとする人はあまりよろしくないです。なんでも自分でやろうと思ってる人は、他人を頼りたくないという気持ちがありますが、他人と持ちつ持たれつの関係を持つことをなんとなく嫌ったりもします。しかし、それでは円滑なコミュニケーションと労力の分散がうまくいきません。他人に頼ることをめんどくさがったりもします。それは大きな損であり、しかも友人をなくします。