バチェラージャパン3(ネタバレ)

昨今はTwitterなどの情報化により、かつて起こりえなかった炎上や、無関係な人による加害者への報復行為が起こりやすくなっている。昔でもテレビなどで凶悪事件が報道されれば、加害者の家に火をつけるなどという輩はいたが、今はその制御ができなくなってきており、発生する速度も規模も拡大してしまった。

どういう心理でそういうことをするのかはわからないが、良い子やヒーローになろうとしてはいないか?と聞きたくなる。正論は、人間の弱さや矛盾という「現実」を認めない。振りかざせばいいというものではない。

それとも、自分を含めた皆が気持ちの良い世界にしたいのだろうか。現実を見まいとし責任回避するような現実が、あるべき正義という考え方があるのではないかと。

先日、Amazonプライムでバチェラージャパン3の最終回が配信されたが、ネット上では結果に非難轟々だった。

【ここからネタバレ】

そりゃそうである。バチェラーは最初から、20名以上いた女性の中で、ある一人を好きな素振りをずーっと見せながら話が進んでいたのだ。途中、脱落せず残った女性たちも、自分たちは噛ませ犬で望みは無いと分かっていた。女性たちにしてみれば大変失礼な話である。

かくしてバチェラーは、最終話の配信前にデートを盗撮され相手がバレてしまいTwitterで広がった。なぁんだやっぱりあの人が最後に残ったのか、と最終話がネタバレした程度に皆が思い込んでいた。しかし最終話を観ると、最後に選んだ人は別の女性だった。

つまり、最後に選んだ人とは即別れ、脱落させた「好きな人」と付き合っていたのだ。別れた理由は当然「あの人を忘れられなかったから」である。胸糞の悪い結果となった。

これにネットは盛り上がった。バチェラーのわがままに振り回され傷ついた女性たち、とくに最後まで残った女性は立ち直れないほど辛かっただろう。番組のタブーを破ったことも罪深い。これじゃ何のための番組なのかも分からなくなってしまう。バチェラーはモラハラ男の烙印を捺された。

例え脚本があり脚色されていたとしても、番組と行動と結果が全てバラバラなバチェラーは無責任だと思う。しかし、自分の胸に手を当てて考えてほしい。恋愛とはそんなもの。傷つけ傷つけられるのが現実だ。もしそれが分からないのであれば、本気で恋愛で悩んだことが無い人なのだろう。

またバチェラーという番組は元々「男尊女卑」の構成となっている。多数の女性が一人の男性を奪い合い、玉の輿をとるドキュメンタリーだからだ。今回のバチェラーがまずかったのは、この優位な立場をはじめから崩壊させてしまったところだ。バチェラーたる男性が女性を魅了しないといけないのに、逆に女性に魅了させられてしまったのだ。仮に今回の件、男女が逆だったらどうだろうか。やっぱり最後に残った男性に同情が集まり、わがままを振りかざした女性は、後から付き合うことに同意した男性ともども叩かれるのだろうか。結局、相手を魅了した人が一番強かっただけではないのか。

恋愛は、あらゆるタイミングと、意志の強さ、行動が全て釣り合ってはじめて成功するので、狙ってどうにかなるものではない。なぜなら外から制御できない内なる感情が正義となるからだ。強引にやれば、自分や相手を含め、あらゆる人を巻き込んで傷つけ、関係も修復不可能になる可能性がある。

結婚と恋愛は別物だと考える人がいるように、一致してないと絶対に無理な人もいるのだ。それはわがままとは違う。人生はあらゆる犠牲を払えばやり直しがきかないということは無い。
恋愛は内なる気持ちが正義なのだから、消去法ではなく、飽くまで主体的であるべきだ。お互いが主体的に相手を欲しないと成立しない。だから難しい。そうではないという人がいたら、それは自己欺瞞か、自分が無い人だ。
仮にバチェラーが責任を果すことを優先し最後の人と結婚したとしても、いずれ浮気して離婚に至っていただろう。

もっとも、だったらなんで最後に好きな人を選ばなかったのか、と言いたくなる面もある。30過ぎて我を貫き通すなら、初めから通して欲しかった。非常にカッコ悪い。でもこのドキュメンタリーを男性の目で見ると、自分でもうまくはできないだろうなと思ってしまう。今田さんと藤森さんのフォローは全て台本というわけではないだろう。

よくある恋愛劇なのだから、放っておくのが一番なのだ。許せない気持ちがあったら、自分に問いかけよう。