SEECOMは、みかんが好きなので一人暮らしにもかかわらず箱買い。
ぺろりと平らげます。一日に少なくとも10こは食います。
で、みかんの剥き方が上達してしまいました。
みかんがあります。
こいつのケツの真ん中に力をいれ、バックリ二つに割ります。次に、垂直にまた割ると丁度4つに分かれた感じになります。ちょっと手で切ったとは思えない程キレイに割れるもんです。
ヘタの裏側に柱が立っていると、上手に割れています。
さて中身をとりだすですよ。写真のように、内部下のヘタから身(房)を取り外し、皮から剥がしていきます。なんでこの方向なのかは次をごらんアレw
なんと、身(房)の背中にくっつくあの白いスジが勝手に外れるじゃありませんか!スジは、ヘタからのびています。だから、ヘタにスジをくっつけたまま房をはずせばキレイに取れちゃうんですね。
んで、房の方はというとこんな感じ
▲房は分けずに、このまま一口。ぱくり。
同じように全部剥くと、皮とスジがキレイに残ります。まるでチョウチョ
どうでしょうか?ミカンは手軽に食べられる美味しい果物です。
もうすぐミカンの季節は終わりで、いよかんやポンカンの時期になります。
みかんみかんみかん!!
皮の剥き方に拘ってみて下さい。
5年前まで、中学一年の国語には「命ということ」という小説が出てきました。ドイツのケルンを舞台にした日本人の少年が主人公の物語です。マドンナBと言えば分かる人も居るのではないでしょうか?ポータブルカセットプレーヤをいつも聞いてる、鼻をつんととがらせた美人のブリギッテ。通称マドンナBです。主人公はマドンナBにほのかな恋心を抱き、成長していくのです。
この小説では、ソーセージを作るための豚の解体を見に行くシーンがあります。ギムナジウムの少年少女が農場見学へ行ったのです。そこでブリギッテはキレイに中身を取り出された豚の中になんと腕をつっこみ、「まだ温かい」という名言を残しました。
SEEは、人が食べていく限り、人は人間のために死ぬ動物の事を理解すべきだと思います。理解とは、人が生きていくため必要な殺しを真っ直ぐ受け止められることです。
牛や豚、鶏、魚の解体を「気持ち悪い」とか「見たくない」という考えでしか受け止められないのは非常に残念です。私たちはそれを食べてるわけですからね。「いただきます」を誰に言っているのか実感できなければ、人は生きる資格が無いのかも知れません。(ちょっと仏教じみた考え方ですが)
「命ということ」は、とどのつまりそういう事を狙った指導計画なわけです。んでもって、コレはぜひとも体験学習に取り入れるべきだと思います。牛や豚は無理だとしても鶏はできるでしょう。家庭でも魚をさばく等で近いことはできます。しかしたった先ほどまで元気に生きていたことが重要なわけですから、やはり「まだ温かい」は必要だと思います。極めつけは、それを食すことです。目の前で殺され、解体されて、食す。見苦しい部分はあるが、それを真っ直ぐ見つめられる強い心の生まれることを期待します。
ちなみに、「命ということ」は中澤晶子さんの作品「あしたは晴れた空の下で――ぼくたちのチェルノブイリ」(ISBN4-8113-7056-2)からの一部引用です。「あしたは晴れた空の下で――ぼくたちのチェルノブイリ」は既に絶版となっていますが、図書館などで読むことができますので是非読んでみて欲しい作品です。題名の通りチェルノブイリ原発事故が大きく関わっている話なのですが、残念ながら教科書に引用された部分ではまったく出てきませんでした。本作では純情でほのかに甘いストーリーと、原発事故による被害や状況がうまく溶け合いつつ生々しく描かれています。
ドイツでの生活・親・ブリギッテ・ヨウ素錠剤・出会い・別れ・放射能汚染 ここにあげたキーワードは忘れられません。SEECOMお薦めの一冊です。