とある物語 その1

「やぁ、遊びにきたよ」
彼は私の書斎の窓を覗き込んでいた。
「お、コーヒーでも淹れるよ」
読んでいたパソコン誌を閉じ、きぃと椅子をならして立ち上がると、既に空となって乾き始めていたカップを持って書斎を出た。

朝まで降っていた雨はやみ、気がつけば青空が見えている。
外の桜が、散りかけの花を水気の重さで垂らしていた。
個人的にはコーヒーを淹れ慣れているつもりであるが、自分しか飲まないので彼が気に入るかは分からない。しかしながら客に対する社交辞令は必要だ。
「苦い」
「コーヒーは苦いもんだ」
「濃い」
「俺は濃いのが好きなんだ」
「しかし飲む」
「うむ、飲め」

二人は書斎に居た。
彼が来ると決まってパソコン談義となるから、パソコンのある書斎が居場所となる。
「こいつも随分と古いな」
「まぁなあ。かれこれ5年くらい使っているな」
「はぁ、プレスコ(Pentium4)か?」
「そうだな。買った直後にCore2Duoが出て、気付いたら今やi7だ」
「タイムカプセルか?早いところi7でWindows7に鞍替えしないか」
「実は考え始めている」
私は少々汚れた愛着のあるマシンをそっとなでた。
最近は音もうるさくなったし、ステッカーもはがれ始めている。
突然再起動する事故も時々起きていた。

彼は書斎の棚を眺め始めた。
そのまま1点を凝視し、ある白い箱を取り出した。
「これはAQUAZONEじゃないか。懐かしい」
「よく見つけたな」
「ちょっと動かしてみないか」
「さすがに漢字Talkのマシンはもう無いぞ」
「じゃあ、OS9。Classic環境は?」
「無いな。PowerMacがあれば動くんだが…」
「…あるかもしれない」
「は? 君はPowerMac持ってなかっただろう」
「PowerBookがある。黒いボディのやつだ」
「あぁあったな、黒いやつ。しかし、うごくのか…」
「わからんが、とってくる」

1時間後、彼は確かに黒いのを小脇に抱えて戻ってきた。
その間に書斎を片付けて、セットアップするスペースを作っておいた。
PowerBook1400…。1996年の骨董品である。
使い込みすぎてキーボードがすり減っている。
「ごくり」
電源を入れてみると、ポーンという子気味よい起動音が鳴った。
ガリガリとHDDの音がうるさい。画面には、笑顔のMacアイコンが映る。
「漢字Talk7.5.5か…。こんなに古いのに何故動くんだ!」
「しらん。でも時計が狂ってるから電池はダメだと思う」
よく見ると、バックパネルの蓋が無くなっていた。
「起動したので、AQUAZONEをインストールしよう」
私は箱からフロッピーディスクを取り出した。
ラベルにはネオンテトラが印刷されている。
何だか懐かしいにおいがした。
がちゃり、とディスクを挿入してインストーラを起動する。
「おい、インストール容量が足らないぞ」
「ハードディスクの残りは2MBだ」
「2MB…取り合えず色々消せよ。初期設定とか」
「このトラックパッド使い難いな…」
「マウスならあるぞ?」
「USBポートが無わけだが」
「ADBか…ジェネレーションギャップが…」

無事インストールは終わった。
窓からの日が陰っている。もう夕方だ。
「起動するぞ」
「うむ」
きらびやかな曲と共に、スプラッシュ画面が表示された。
すぐに水槽作成画面に入る。
コポコポコポ…コポコポコポ…。
「なあ、ゼロからやる気なのか?」
「え、だめか?」
「パッケージごとお前にやるから、じっくり楽しめよ」
「本当か、ありがとう」
「他にもSimCityやTheTowerがあるが」
「いや、それらはいい」
「MYSTもある」
「今度やらせろ」

実は、この書斎には水槽があり、熱帯魚が泳いでいる。
私もAQUAZONEで熱帯魚に興味を持った一人だった。