小学生の頃、
「やったのを見た」と「私はやってない」で
モメたことがある。
「やったのを見た人がいるなら、やったんじゃない?」
という意見が大多数だった。
勿論、見間違えというのも考えられるのだが、
誰がやったとかはどうでもいいのだ。
確かに、「やった」という事象の変化が『ある』なら、
「やっていない」という事象の変化が『ない』より説得力がある。
これは悪魔の証明である。
有は簡単に証明できても、無を証明する方法は無いからだ。
「ある」と「ない」では、Default側が弱い。
「事件があった」
「事件はなかった」
「あったという人がいるなら、あったんじゃない?」
さあ、どうだろうか。