青山子ども会の思い出

厚木に住んでいた、小学生の頃の話だ。もう17年くらい前か。
まだ青山学院大学が厚木にあった頃、
青山子ども会という活動が存在した。
(今でも青山キャンパスや相模キャンパスでは存在すると思われる)

歴史ある福祉サークル活動の一環なのだが
毎週、日曜日に子どもたちを集めて企画し遊ぶという活動であった。

小学校の昇降口に、今週は○○をやるよ!という手書きのポスターが貼られる。
児童はそれを見て、気に入れば当日に飛び入り参加するという手法であった。
当日は決められた集合場所(小学校の正門など)に青学生がたむろしており
皆で一緒に目的地に歩いていくのが通例であった。

実際に遊ぶフィールドは幅広く、屋内であれば児童館や公民館を使い
野外であればグランドや川、森林公園も使用した。
ただ傾向としては、○○を作ろう!という企画が多かった気がする。
屋内では、木工、キャンドル作り、砂絵などなど。。
野外では、やきいも、スポーツ、オリエンテーリングなどなど。
特にテーマを決めなくても、晴れた日に広場や山へ行けば、
子どもたちは勝手に楽しく遊んでしまうものだ。

毎年の長期休暇時(夏休み)には、大活動としてキャンプが行われた。
1ヶ月前から毎週計画を練り、班ごとに学生が2人付き、
子どもたちと皆で、当日の夕飯や班の出し物で何をするか決めるのだった。

キャンプ場まで学生と子どもたちが徒歩で行く。当然暑い。
厚木名物のお化けトンネルという、山中のメンテナンスされていない
照明の無い真っ暗なトンネルがあるのだが、通る時はいつもビクビクしていた。
キャンプ場に着いても、流石に山中なので蛇口から出る水は生水。
飲みたくても飲めないという過酷な経験ができた。(煮沸して飲む)

用意した鍋でカレーを作るが、薪を焚くためススや焦げが凄い事になる。
鍋や飯ごうの外側にクレンザーを塗り付けておくことを覚えた。
薪の火起こしは牛乳パックの内側の樹脂が燃えやすいため、持っていくのであった。
薪割りも重要である。

山の神トンネル
不動尻キャンプ場跡

今では、学生に監督責任が取れるのかという話になるかもしれない。
しかし、青山子ども会の学生たちは、やるべき事はしていた。
きちんと保険にもはいっていたし、歴史ある活動で蓄積されたノウハウを守っており
学生が負うべき責任の範疇は果たしていた。
当然ハプニングもある。はしゃぐ子どもは怪我もするし、
実際に救急車を呼んだ事もあったと思う。
でもよく考えれば、その責任を全て学生に押し付けるのは大人として間違っている。
子どもは自分で経験し、善し悪しを自分で覚えていく。でも少しの保護も当然必要。
そういった考えの親は子どもに冒険をさせるため、これに参加させていた。