好意と悪意

人間関係、特に会話や行為によるコミュニケーションにおいては
自分のやりかたと相手の受け取り方によって様々な問題が生まれてくる。
僕は、自分と相手に見識の差があった際は
相手に悪意があったかどうかだけ判断する事にしている。
(どんなすれ違いであれ、悪意が無い相手を嫌悪するのは間違いだと思う)

例えば、「プレゼント」という行為であれば
・自分は好意を持って、相手にプレゼントをあげた。
・相手が欲しいと思うだろうものだが、確信は持てない。
・相手はそれを受け取り、「ありがとう」と言った。

この時、相手の本心は「こんなもの貰っても…」かもしれない。
でもプレゼント後に、贈った自分がそれを考える必要はあるのだろうか?
相手が満足しなければ自分も満足できないというのはエゴだと思う。
(何故なら自分は相手ではない。相手の心理は相手だけのものだ)
でも相手の満足を自分の満足にしたがる人は多い。

また、プレゼントを貰う側も、どんなプレゼントであろうが、
くれた人に後から気遣わせないようにするのがつとめだ。
しかしながら、その場では世辞や嘘を言っても、
すぐ感づかれたり、第三者などからバレるものだ。
その後どうなるかは容易に予想できる。

だから、「相手に悪意があるか」が重要になってくる。
どんな物を貰っても嬉しいと思うには、プレゼントではなく
相手の好意そのものを嬉しいと思うようにすれば解決できる。
そもそも、それが贈り物の本質ではないだろか。

そうすれば、プレゼントを贈る側も「好意」さえあれば
相手の満足を信じる事ができるため、安心して贈れる。
貰う側も満足。サイコー

なのだが

あげる側、もらう側を対等だと思えない人にこれは通用しない。
すぐに「どっちが悪い」とか「どっちが偉い」とか言い出す人に
プレゼントするときは気をつけよう。
どちらにしろ他者への過度な期待は禁物だ。