必死ということ。

若いうちは買ってでも苦労しろという。
必死という言葉がある。
それ以外を投げ捨てて目標に打ち込む事だ。

別に、極端に投げ捨てる必要は無いかもしれないが
色々な事に気を配って目標はより高くなんて、まず無理だ。
というか、一番大切な事は何か?と聞きたくなる。

必死は見苦しいという風潮もある。
冷めた人はそう言うだろう。
しかし、必死の人とそうでない人の数年後の成果は
容易に想像できる分、語るに及ばない。

10年後の自分から、なんて言われるだろうか。
あれをしておけ、これをしておけ、
そんなことは後でもできる。
きっとそんな感じだろう。

後の事は後にならないと判らない。
なら、今を楽しめれば後の事は考えなくていいのか?

僕は、どちらかというと
未来の自分に期待するために今が犠牲になってもいいと思う。
ただ、未来の自分が今の自分を捨てる事は出来ないのだから
今の自分にしかできないことはしておきたい。
それが何なのかはすぐに思いつかないのだけれど。

それに、罪人は一生、罪を背負うように
今の行いは未来の自分の過去になる。
積み重ねなくてはならない。積み重ねの無い人に未来は無い。
そういう意味では官僚は尊敬できる。
学生時代を必死に犠牲にしたのであれば、お金をもらってもいいだろ。
仕事は対価分やってもらわないと困るけれど。

もし積み重ねをしてこなかった人を救うために
税金を使う案が出たとしたら、僕は違うと思うな。

目標を仕事に当てはめれば、仕事が辛い事になってしまうが
給料は辛さの対価でもらえるわけではない。。
でなければ仕事は辛くなければいけないみたいじゃないか。
必ずしも、そんなことは無い。