週末なのか

会社に行ったら
みんな茶髪になってた

昔はフロッピーディスク50枚をαランドで買って帰るとホクホクした気分になったものだが
今DVD-Rを50枚買って帰っても、そんなことにはならない。
フロッピーディスクのメカニカルな部分に価値を見出していたのだろうか。
それは良く分からないが。

あの頃のPCショップの雰囲気が好きだった。
デスクトップ型本体の上に乗るディスプレイが好きだった。
Windowsのアイコンで宇宙旅行するようなスクリーンセーバが好きだった。
MIDI音源コーナーが好きだった。
いろいろな種類のメディアを見るのが好きだった。
MacでAfterDarkが動いているのを見るのが好きだった。
AtEaseのクリック音も好きだった。

昔、PCは高額なものだった。
高額なものだけあって、使いこなそうと考える人しか買わなかった。
然るべく、レベルの高いユーザの多い機器となった。
興味の無い人は買わない機器。買わなくても生きていけるもの。
レベルの高いユーザが多く、初心者は自力でがんばるしかない世界。
コンテンツではなく、そのものを使うために買うもの。
そういう見方では、本当の意味で高等な機器(オモチャ)であった。

ところが、インターネットによるブームが訪れた。

一家に一台はアタリマエ。
誰でも使えるが使いこなせはしない。
そのものではなく、コンテンツを楽しむための手段。
つまり、家庭用ゲーム機と同じ見方が広まった。
その代わり性能対価格がかなり良くはなった。
モダンなOSもアタリマエに使える時代になった。
だけどその存在自体の価値は ずいぶん変貌してしまったものだな。
すこし寂しいが、(何をもってかは不明だが)より良くなるのならいい。

人の価値は本人の能力を他人が認めたときに生まれると思っている。
んで、モノの価値は、価格や品質よりも、使う人で決まると思う。
逆に、価値の高いモノを持っても、人の価値は変化しない。
宝の持ち腐れってよくいったもんだ。
自分の価値を過剰に信じ分相応を忘れ、そぐわないモノを持つ人を見たくは無い。
あえて口にはしないが、非常に滑稽に感じてしまう。
金を稼いでいない大学生が高額な車に乗っているのを見たらどう思うだろうか?

大衆が欲しがるブランド品に手をあまり出せないのは、そういう考えがあるからなんだ。