VISTA直前

女性を機械に例える話し方は明らかにどうかしていますが
遺憾を示し反論する人もズレた事を言ってるように聞こえます。
なんだか、視点に差があるんです。マクロとミクロの差が。
反論してる人もマクロな視点を無視しているような。。
反論だからあえて無視していいのかな。

数日前、Windows VistaのUIがよくなったという話をしました。

ただキレイなだけではなく、ある種の哲学に基づいて作られています。
GUIは、プログラミングフレームワークの構造と同じように
固い哲学、ポリシーに基づかないと支離滅裂な操作性になるのです。
実際、AppleやMSは、UIのガイドラインを発行しています。

一方、このポリシーが変更されることもあります。
よくある理由は、時代の変化です。
使用されるディスプレイの解像度が高くなれば、変えざるを得ません。
Webサイトのリッチ度の変化に似ているかもしれませんね。
もしそうなると、制御方法、ファイル操作方法が変わります。
Windowsしか使った事の無い人がOSXを難しいと感じるのはこのためです。

GUIをよりGUIらしく、現実のモノがそこにあるような表現力を持てば
また使い方も変わっていくのかもしれませんね。

VISTAは、Direct3Dを用いたAPIで、UI(ウィンドウ等)をベクターで表現します。
ベクターで表現するということは、拡大縮小・透過・ねじまげ自由自在です。
OSXのUIはOpenGLで描画されているので、同じレベルに持ってきた感じですね。

ベクター描画のメリットは、解像度に柔軟なところです。
皆さんは今、15インチ?20インチのディスプレイを使っていると思います。
しかし、20インチを超えるディスプレイは逆に使いにくくなります。
眼球を動かさないと全体を見渡せないですからね。

しかし、領域は広いにこしたことはないので、解像度だけが高くなっていきます。
今は、OS規定の解像度であるMac:72dpi Win:96dpiなんて、ディスプレイでは守られていません。
するとどうなるでしょう。画面に映った1ピクセルは、虫眼鏡を駆使しないと視認できません。
今までは普通に読めた文字も、非常に小さく、読めなくなるでしょう。
ウィンドウのタイトルバーにポインタを合わせるのも一苦労するでしょう。
そこでUI全体を大きめに作る必要がでてきます。

大きめに作ったUIは、今までのモニタで見るとすさまじい大きさになります。。。
これも使い物になりません。。。

ベクターにする理由はここにあるのです。
OSXを使えばわかりますが、Finderのアイコンの大きさを自由に変えられますよね。
使いやすいUIの大きさを選べるようになる時代なんですね。

Vistaを使うことがあったら、それを頭の片隅に置きながら使ってみてほしいものです。