十代や二十代前半くらいまでは、一人が気楽だった。
欲しい物を調べたり手に入れたり、プログラミング等の趣味の時間を過ごせば
誰かに自慢したいくらい楽しくて、心に豊かな充足感を得られた。
しかし二十代後半からは、満足できなくなった。
最近は欲しい物もあまりないし、手に入れても空しい。
いま欲するのは「他人」と楽しい時間を共有すること。
こう書くとキモいが、相手の笑顔が見たいのである。
自分の心の充足に、自分以外の誰かが必要になってしまった。
一言でいえば、寂しがり屋さんになってしまった。
先日電車で、30代女性誌の吊り広告に、こう書いてあった。
「だって幸せそうって思われたい!」
えぇ、なにそれ腐ってる!
と思う反面、なんかわかる気がするんだよね。
自分は幸せじゃないけど、せめて人生を謳歌しているように思われたい。
だから「派手にリア充、楽しんでいる姿」を周りに見せたがる。
これ結局、寂しがり屋の、強烈な承認欲求だよね。Facebook的な。
モテたい根性というか。
僕が考える「モテる人」って、自分の楽しみや世界を持ってて、
その楽しさで周囲に影響を与えられる人なんですよ。
それはリスペクトから来るモテかもしれない。
自分が「これが楽しい!」と思う世界が無いのに、
すでに満ち足りている誰かを、更に楽しませるなんて無理でしょ。
他人に楽しませてもらいたいからモテたい、って人もいるけど
受け身のマグロは困る。
僕は、あの人と遊びたいなぁと思えば、
深く考えずにそっこーLINEで誘っちゃう。
断られる耐性もついてきた(へこむけど)。
嫌われるリスクは高いけど、嫌われるのはしょうがない。そう思うことにした。
以前の八方美人改め、相手が自分をどう思うかに委ねている。
相手が嫌だと思えば縁が切れるが、まあいいかと思えば関係は続く。
15年以上の友人にさっくり嫌われ即ブロックくらったときは
流石に落ち込んだ。
人は常に変化する。時や環境で価値観や思想が心変わるもの。
その人に自分の行動が嫌われたのは仕方がない。
相手が嫌うなら仕方ない、と思うことにした。
30代、仕事以外もビビってないで色々積極的に飛び込まないと、
つまらない人間になってしまう。
しかし何で今日も仕事しているんだろう。。