将来不安

将来不安のない人はいないと思う

 小学生くらいまでは、みんな一緒なので何も不安を覚えること無く、健常者であれば、みんなと同じようにしていれば無事だったはずだ。
 アイデンティティが作られる思春期の頃から、人生の分かれ道がやってくる。自分の人生を自分で選んで決めて、失敗しては軌道修正して、といったことを繰り返す。
 誰だってボンヤリと、こうだったらいいけどね的な「想定」や、いくらなんでもこれくらいは的な「歯止めライン」は持って生きているので、それすら叶わなくなる可能性が出てきた時、将来が見えない時、不安を覚える。
 高校生の頃から、□大学を現役卒業して、○歳で結婚して、△歳で一人目を産んで…といったような、「ぼく・わたしの考えた妥当なライフプラン」を妄想している人ほど現実はうまくいかないと感じているんじゃないだろうか。

自分は何者なのか
自分は人並みに友だちができるのか
自分は人並みに勉強できるのか
自分は人並みに受験を通過できるのか
自分は人並みに卒業できるのか
自分は人並みに就職できるのか
自分は人並みに社会人できるのか
自分は人並みにスキルアップできるのか
自分は人並みに恋人ができるのか
自分は人並みに結婚できるのか
自分は人並みに子育てできるのか
自分は人並みに家や車を持てるのか
自分は人並みに子供を大学までやれるのか
自分は人並みに定年後を過ごせるのか

※今の時代、親より人並みが実現できるのは幸せなことです。
※これらライフイベントにしゃしゃり出てくるのが「リクルート」と「ベネッセ」である。

 20代前半から半ばくらいの後輩から、将来不安の悩みをよく聞かされる。正直自分でもいい答えは無い。本人が良いと思った行動をするしかないし、不安というのは決着するまで懐き続けなければならないからだ。その先にあるものは、自分自身で築き上げてきた過去である。自分に置かれた状況の中で、できるだけ良くしようと藻掻いた結果である。置かれる状況は運もあるので人によって大きく差があるが、未来はある程度自分で操作できるはずだと信じなければならない。
 後輩には、自分ならどうするかという話ならできる。自分は、先が見えない時、行き先がわからない時でも、行動は止めないことにしている。失敗は織り込み済み。悩む時間が勿体ないからだ。病気ではないから休む必要は無いし、もがいているうちに種や材料が見えてくることもある。尊敬する誰かの真似をしてみるのも良い。でもしんどい。頭も良くないから楽な道は選べない。それは思い上がりだ。今という時間を、できるだけ良くしよう、楽しもうという考えも必要だろう。
 それなりに考えて行動した結果、だめならだめでしょうがないとも思う。人間には手が2つしか無いのだから、生まれたときからあれもこれもは出来ない。つまりなるようにしかならない。にんげんだもの。行動しないくせにだめな自分が許せないなら、わがままだ。死ぬしか無い。
 行動とは、どうすればしたことになるのか。簡単だ。「この目的のために、こういったこと、ああいったことを頑張ってやってみた。その結果、こうだった。ここは良かったが、ここは悪かった。次はこうした方がいいと思っている」といったことを自らの口で言えるかどうかだ。本当にやってみた経験は、矛盾なく簡単に話すことができる。

 とは言え、もし自分に子供が居たら、こんな突き放したような話はできないんだろうな。目標出生率は1.8らしいが。達成できるといいね。

 気晴らしになんか資格でもとるか。電気工事士か電験とか。ソフト屋だけど。