イトコ結婚

イベントといえば、常に人生はイベントの連続であるが
直近でいうと従姉妹の結婚式があった。

従姉妹は二人姉妹で、妹が今月、姉が来月、結婚式をする。
来月は友人も二組結婚式をするので、ご祝儀貧乏である。
(前に書いたかもしれないが)

身内の結婚式というものは、特に花嫁側というものは
なんとも言えない気分にさせられる。
旦那については、彼女らが選んだ相手なので特に何も言うことはないし
それでいいと思っている。
あらゆる愚痴や文句を言ったところで、うまくまとまっていくもの。
大人は傍観しつつ、困ったときに助け舟を出す。それ以上は野暮だ。

私は従姉妹たちの両親(叔父と義理の叔母)の結婚式に3歳の頃出席している。
叔父には結婚前から息子のように扱われていたため
従姉妹たちとは兄妹のような関係で、自他共に兄妹だと思っていた。
ただ私とは性格や趣味が全く違い、彼女らはオタ臭が皆無。
私と違い聡明で、私より背が高い美人である。

しかし、決してずっと仲が良かったわけではない。
彼女らが中学に入るころは、もう甘えてくれることはなくなり
理由はよくわからないが、話しかけてすらくれない時期もあった。
私を呼ぶときも「ねえ」「あのさ」である。名前も何もない。
田舎で娯楽のない地域だというのに、私が遊びに行っても
夕飯が終われば彼女らは自室に閉じこもった。
帰りにさよならも言ってくれないし、だんだん疎遠な気持ちになっていた。
もっとも私が遊びに行く目的は叔父と飲むためであり、
義理の叔母にも好かれているため、実家より実家らしい待遇であったと思う。

「兄ちゃん」

またいつか、そう呼んでもらえる日がくればいいな、そんな風に思っていた。

昨年の6月、突然、私の携帯が鳴り響いた。母からだった。

「ばあさんが亡くなった」

急いで身支度をし、休暇をとって車を飛ばした。
到着するとすでに皆揃っており、バタバタしていた。
婆さんの眠った顔を拝み、今後の段取りを話し合った。
夕方は農家の多い田舎特有の、和室をぶちぬき、ちゃぶ台を並べて、
大勢で婆さんの前で夕飯(酒盛りに近い)をとった。
久しぶり、私にとっては小学生以来での、親戚一同の夕飯であった。

その時である。
従姉妹二人が、人が変わったように気遣いのできる女性になっていたのだ。
気が利くどころの騒ぎではない。全員の食器や料理を用意し、ビールを注いだ。
私がアレが欲しいなと思うと、口に出す前に間髪入れず出してくれるのだ。
エスパーかお前らは!! 少し恐怖した。
この時の全員分の酒は、この二人が仲良くテキバキと作っていた。
つまり、今にして思えば。この頃には二人共、結婚の準備がだいぶ進んでおり、
生活力も身に付け、整っていたのだ。
しかし婆さんがいつ死ぬかわからない状況、なかなか踏み切れなかったのである。
(さすがに喪中で結婚はできない、したくないだろう)

更に、社会性も上がったのか、私に対する抵抗が無くなったのか分からないが
普通に「兄ちゃん」と呼んでくるではないか。むずむずする。

久々に親戚一同の会する場が、昔の呼び方を自然にしたのかもしれない。
色々な話もできたし、ハードルが壊れたのか普通に甘えてくれるようになった。
酔っていた私は、そう呼んでくれることを嬉しく思うことや
従姉妹たちを本当の妹のように思っている事を告げ、近いうちにあるだろう
結婚も踏まえて、彼女らの彼氏の話に花を咲かせた。
私と彼女らが話すところを久しぶりに見る母は、本当の兄妹のようだと驚いていた。
その2ヶ月後。初盆は盛大に行われた。田舎の初盆は超めんどくさいが
従姉妹との距離は完全に回復されていた。
そして、二人の結婚式計画に現実味が帯びてきていた。
大正生まれの、婆さんの死が、あらゆる人の転機になった。

それから1年と数ヶ月経った今月、豊洲で結婚式が行われた。
私の席のネームカードの裏にはメッセージが書いてあった。

「いつも面倒を見てくれてありがとう。
 私も本当の兄のように頼りにしています。
 これからも仲良くしてね 可愛い妹より」

二日酔いした