起きないから、奇跡って言うんですよ

きいてくださいよもー。。・゚・(ノД`)・゚・。
あのですね、パソコンで何かしようと思ったら、あきらめないでください。
いえ、誰も出来ないことをあきらめないでやれってんじゃないです。
そんなの無理ですから。
でも、パソコンでちょっとしたことしようとしたら、間違いなく英語の壁にぶつかります。
英語ごときで無理だとか?だとか諦めるだとかわかんねーだとか抜かさないでください。
これはパソコンに限った事じゃないですが、パソコンは元々日本の道具じゃないので英語に当たることは多いのです。これでも今は殆ど日本語で出来るようになりました。もっとも、以前は英語ですら画面に表示されませんでしたが…
しかし、調べものをしようとすると直ぐに英語になることはよくあることです。ニューヨークタイムス読めつったら難しいので無理はあるでしょうが、画像解説付きの英語説明くらい自分の力で読みましょう。そんなものは一字一句読まなくてもいいです。なぜならそういった解説は工業英語(説明用の英語)なので「流れ」さえ読みとれれば大丈夫なのです。普通の中学生でも余裕で読めるはずです。
あと。
不公平に思うかもしれませんが、「できないことをやろうとするな」「できないことを楽しもうとするな」という考え方は間違ってはいないです。パソコンは家電ではありません。誰にでも「簡単に」使えるという触れ込みでメーカは売り出していますが、それは安定した動作をしている場合に限ります。
「動作しないパソコンに、意味はあるんでしょうか?」
こういった機器は、時が経つにつれて操作が逆に難しくなります。なぜなら構造が複雑化するからです。簡単に使えるというのは思いこみで、実はそんな気がするようにOSに騙されているのです。話を戻します。簡単じゃないパソコンを使うという前提で例えばゲームをしたいとします。しかしあなたはゲームをどうやってパソコンでできるようにすればいいか解りません。調べる気など毛頭ありません。なぜなら「楽しみたいだけ」だからです。
そんな人は楽しむ権利などありません。けして意地悪ではありません。簡単な道理です。自分のケツは自分で拭え。もし何かトラブルがあったときに何も出来なくて楽しめなかったのをパソコンのせいにしてませんか?
パソコンは道具です。包丁が使えない子供に包丁を持たせ、怪我をさせる事と同じです。包丁は悪くないですよ。もしかすると包丁がすごい欠陥品だったのかもしれません。しかしそれを使える人は使えています。それが現実です。
「ゲームできなくなっちゃった。でも直し方わかんないから教えてよ」こう言われたら、
「うんいいよ。じゃあ教えてあげるからちゃんと覚えてね。(二度と教えませんから)」と答えましょう。
そこで「あーよくわかんないや。まあいいや。おれゲームしたいだけだから適当に直しといて」とか抜かしたら
「おまえはゲームやっちゃだめだ」と言ってしまいましょう。テレビの電源も入れられない人はテレビを見る資格はありません。自分の力で出来ることくらいやれ。ボケ。自分の道具を使いこなせないことは恥じゃないです。が、使えないってのは問題外です。使えないなら持つな。デブが!もうマジでぶちぎれますよ?ねえ?ママサーンママサーンくっきんぐすとーっぷ!ミキ子が聞いてくれないデス心の耳で聞いてくれないです!!ままさーん!