医療の価値

命の尊さ、価値を語る人は、同時に
医療は広く多くの人が平等に安価に受けられるべきとも言う。
私としてはかなり違和感を感じる。

命は何よりも優先されるものだから、
何よりも優先されなければならないという考え方からくるのは分る。

その価値の高さ重さを謳うのであれば、
それを救う医療の対価、医療の価値も当然尊ぶはず…だろうが
それが無い点に違和感を覚えるのである。
そもそもの前提として、命は治療できない。
医療は自然に背く、価値ある行為である事を忘れている。

自分の家族や親友が同時に死の淵をさまようことになり
高額な医療でしか治らない場合、誰に全財産をなげうつのだろうか。
その選択から逃げているように思えるのは、邪推だろうか。

高度な先進医療は、できるだけ多くの人が簡単に安価に受けられれば
皆が幸せに生きられるかもしれない。
しかしそれは、手段を使う側の勝手なご都合主義というものだ。

先進医療技術、新薬の原価、研究開発費、技術料、その他諸々は
決して安くはないし、開発も簡単ではない。
勿論、最低でも原価は「一定期間内に」回収されるべきであるし、
異常に高い利益率でなければ、開発者の成功には見返りが欲しいだろう。
でなければ、次の開発のモチベーションが悪化するかもしれない。
人は皆が皆、博愛主義ではないし道徳心溢れるわけでもなく、それが自然だ。
どの業界でも、社会基盤を作る人や支える人は、
クレームは沢山頂戴しても、感謝は滅多に頂けないものだ。
(あなたは、きっと医者には感謝するだろう。
 しかし薬を飲むとき、その開発に関わった大勢の人や会社、
 犠牲になった動植物に感謝するだろうか?
 きちんと処方された薬を飲みきっているだろうか?)

日本をはじめ多くの先進国では、
その命の対価を支払いながら、個人の負担を減らす優れた仕組み
ハードルの低い健康保険が存在し、人口の殆どをカバーできている。
(アメリカは他人の医療費を払いたくない人が多いため実現していない)
だから命は治療できて当然と勘違いしているのではないだろうか。

私は手塚治虫のブラックジャックを愛読していたが
あのマンガの作中では、命の重さについての葛藤が何度も登場する。
ブラックジャックが法外な治療費をふっかけるからだ。

若者に対し、母親の治療に3000万をふっかけたことがあった。
若者は無茶苦茶だと断り、酷く悩んだが
ついに決意し、「一生かかっても払います」と言い切ると、
ブラックジャックは「その言葉が聞きたかった」と快諾した。(治療費も下げた?
「払えない」と言ったり、悩みすらしなかったら、
承諾しえなかったというエピソードである。
これはブラックジャックの感じる愉悦であるが、
まあ、趣味が悪い点は否めない。