みんな余裕ないから。

自分の身は自分で守るしかない。
誰にも頼らないし、頼れない。だから貯蓄する。
という考え方が経済活動を止める。

人と人のかかわり、コミュニケーション、
信用(例えそれが家族・友人・顔見知りであってもいい)が価値を作る。

人と人のかかわり、持ちつ持たれつの精神が、価値を生む。
これがお金という形で表現されるのが信用創造だ。
しかし、価値を生む行為には制約が多い。
既得権益の法的保護などだ。

ホリエモン曰く、
「誰も頼れないし頼らない、と本気で思ってる人は
生き方を考え直した方がいい」
だそうだ。
そういう人は堅実に見えて、
ただ未来に絶望しているだけな気がするのは俺だけではあるまい。

話はそれるが、
世の中のルールは「交渉」である程度変更できる事を知らない人は結構多い。
交渉自体は「人情」「不可抗力」「お互いの損益」などで行う。

受け身な人はルールに従うことしかしない。
なぜなら、交渉は身勝手な行為だと思い込んでいるからだ。
用意されたルールに交渉を持ち込む事を下品だという人もいるが、
外部の第三者の意見に過ぎない。
結局は交渉であるため、二者間の問題である。
二者が納得すれば、それこそ平等な仕組みなのだ。
しかしながら無視されるべき第三者が力を持ってしまう事がある。
良い例はマスコミだ。横から割り込んであれこれと難癖をつけるだろう。

例えば、俺が30円のものを35円で売りたいと考えたら、客と交渉するだろう。
逆に、俺が100円のものを95円で買いたいと考えたら、店員と交渉するだろう。
5円の差でも100個買えば500円の差である。大きい。

ところが、それを第三者が見ていたとすると、
「自分は100円で買ったのにズルい、不公平だ」となる訳だ。
交渉もせずにズルいもへったくれもないのだが、
ゆとりの弊害というか競争心のない輩は
必ずそういう公平さを無条件に求める傾向にある(らしい)。

当然ながら、価格交渉にはそれなりの努力が要る。
価格調査はもちろん、製品の情報、価値を知る事、
市場の景気感や店側の心証、製品のサイクルなど、タイミングも大事だ。
更に話術も要るだろう。
これをせずに交渉するのは相手に失礼で、
そういった努力もなしに不公平と宣うのはまったくの勘違いだ。

自分の都合と相手の都合に折り合いをつけること、それが交渉だ。
逆に言えば、自分の都合のために、相手に折れてもらうのが交渉だ。
当然、信用や理由がないとできない。

大口のお金を貸し借りするなら、
万一の事を考えて「交渉できる相手」「信用できる相手」であることが良いに決まっている。
そういう意味では、親が子に車や家の資金を貸す、
会社を興す人に親族が投資するのは理にかなっている。

もっとも、分相応な生活をしている人なら、金の貸し借りなんてしないんだけどね。
リスクをとる必要性を考えて行動できる人はすばらしいです。